☆いい女☆で行こう!

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サービス精神とガマン精神7

が見てきたものをすべて正直に話さねばならない。
「サービス」は、実はこれ以上ない「直截営為」なのだが、これは身分の低い者が身分の高いものに奉仕する、ということで見ればわかりやすい。
わかりやすいのだが、真相は逆だ、実は先に身分の高い側からの「サービス」が届いている、ただこちらのサービスは、低→高の奉仕サービスに比べると、まったく「目に見えない」。
極論すると、というか、極論しなくてもまったくそうなのだが、つまり「礼拝」といっても、先にカミサマからの「サービス」が人々に届いていて、礼拝する人はその上位者のサービスに呼応して礼拝しているにすぎない。

つまり、サービスといって、低い者が高い者に奉仕するのが「スタート」だと捉えていると、これは間違う。
先に、物理法則のように、高い側から低い側へ届いているのだ、ただこれは目に見えない、目に見えないが届いているので、この届いてくる感覚こそが、「この人は身分が高いのでは?」ということを教えてくれている。
「この人のほうが身分が高いからサービスを届けねばならない」のではなくて、「サービスが届いてくるからこの人のほうが身分が高い」のだ、だからやはり礼拝の本質は「身に余る」ものをお返しすることなのだ。
もしあなたが、「この人に会うと、何か急に身があたたまり、<<熱く穏やかになり>>、勉強しようという気になり、人と愛し合おうという気になり、何かを信じようという気になり、お酒や食事が信じられないほどおいしくなり、急に『世界』があるような気がしてきて、景色や季節や風のにおいがたちまち鮮やかに感じられてくる」という人と出会っていたらとしたら、その人の身分はメチャクチャ高い、シャレにならんレベルのやつだ、それはあなたが何かを感じているのではなくて、その身分の高い人からサービスが届きまくっているのだ、ここで「何かを感じているわたし」という誤解に陥ったガマン精神の徒は、そのあと懲罰の旅に放り出される(といっても、ガマン精神の徒は、この誤解を永遠にしつづけねばならないのだ)。

目に見えないが、それは届いていた、それが目に見えるものではなかったからこそ、それを「おかげ」と呼んだ。

何かが届いていたのだ/僕自身、無尽に経験がある、現在の僕があるのはあのときの○○さんのおかげ、ということで列挙していくと、この列挙はあっさり三ケタに届く、たぶん余裕で300は超える、わかりやすい森羅万象を含めれば六億を超えるだろう、全部を書いていられないので書きはしないが、僕はありとあらゆるものの「おかげ」で生きている、何かが届いていたからこの場所まで生きて歩いてくることができた、届いていた「何か」に庇護されてきたので、その「何か」の「お陰」と言うよりない。
だからそれは感謝ではない、感謝しようにも、届いていたものは何だったのか、目に見えないのだから感謝では応じられない/ただ何かが届きまくっていたから現在の僕がある、すべて「おかげ」だ、もし僕がクリスチャンだったらこの夕刻に何度でも「アーメン」と叫んで差し支えないだろう。

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