☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
<< 若さでは足りない | TOP | サービス精神とガマン精神13 >>
これ言うとすっげえ怒られちゃうけど

れ言うとすっげえ怒られちゃうけど、男をディスっている女には、ろくな女がいない、という事実がある。
女をディスっている男にもろくな男がいないというのと同じだ。
「男をディスっている女にろくな女はいない」と言うと、僕がすっげえ怒られるのだが、「そんなの女性に対する侮辱よ」と言われると「いやいや、先にディスで異性を侮辱しているのはそちらでしたやん」ということになる。
まあしかし、理性的な話にはなりえないのだ、何しろ先方は前もって僕のことがディスリスペクトなのだから、僕が何を話しても先方がハッピーになることはない、先方にとっては僕が交通事故で惨死することでしかハッピーは訪れないのだ(それはとても人間らしいことだ、おれはイヤだが)。

最近は、パワハラやセクハラやLGBT差別が話題になっていて、その差別やハラスメント被害についての告発があると、たいていそれが「バズる」のだが、「勇気ある告発を尊敬します」という、その話はまあわかる、倫理的にはそれは大切なことで、んなこたぁ誰だってわかっている。
ただ、倫理的なテーマでバズったとしてもだ、その告発者のことを誰かがラブなのか? 絶賛はするものの、そのあと何がどうラブでもない、というのが実情じゃないのか。
その……それじゃあなんというか、他人の罪業を告発することではバズるけれども、当人のラブだけでは何もバズらんということなのか? あるいは、やれ「こういうストーリーで幼なじみと結婚しました」的なマンガが描かれると、それに「いいね」が数万ついてバズるのだが、それがバズったとして、その中でいったい誰が誰のことをラブしたんだ、数万におよぶ「いいね」が炸裂していながら、誰のこともラブにはなっていないんじゃないのか、そんなことしていたって友達の一人も得られはしないのじゃないのか。
自分のラブが誰かに届いて、「わたしはあなたのことラブよ」というのがあちらこちらに生じ、それはラブなものだから生涯つづく、そしてわれらの生涯バンザーイとなるのが本筋じゃないのか/何か多くの人が次々にバズりに目を向けているようだが、それは自分のノーラブ・クライシスから目を背けているだけじゃないのか、もしそんなことの動機で社会問題に油を注いでいるのだったら、それはカルマ的にも自分がやがてとんでもない後悔をするたぐいじゃないか。

いくら「出来事」や「揉め事」がバズったって、あなたのラブ体験は一ミリも増えねえよ。

女をディスってミソジニー、男をディスってミサンドリー、ハラスメントやポリコレ棒、研修で学ぶLGBT、どんなショートマンガが三日だけ注目されてもかまわないが、<<あなたの名前を親しく実声で呼んでくれるラブな奴が、どこにどれだけどうやっているのか>>、その問題はどうなった、そちらがどう見ても問題の本筋だったろ。
男をディスっている女に、ろくな女がいないのは事実だ、正義があろうがなかろうが、まともな女が男ディスに熱心だった例を見たことはない、ただそれでも、「かけがえのない友人が10人いるの」と言うのなら、それについては僕は紛れもない祝福を贈るだろう、それ以上によろこぶべきことはないからだ、ただしウソだけはつかないほうがいいぜ、これは「あなた」の問題だから/念のために言っておいてやるが、男ディスにせよ女ディスにせよ、それが誰かに聞き遂げられていると思ったら大間違いだ、そんなところに耳を傾けるヒマ人なんていないのだから、そしてもうひとつ言っておいてやる、さまざまなディスや粛清に声を上げると、同士がたくさんいる気がして心強いと思うが、それは大いなる勘違いだ、<<声を上げている奴の多くは自分に友人がいないから平気で声を上げているだけ>>だ、そのことに正義が一ミリもないとはおれは思わないが、少なくともそこで自分のラブ体験が一ミリも増えないというのは確かなことだ。

できるオンナだね | comments(0) |
コメント
コメントする










| /PAGES |