☆いい女☆で行こう!

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降り注ぐ雨とずぶぬれになる女2

んなして、降り注ぐ雨の下で暮らしているのだ。
当たり前だ、降り注ぐ雨がなかったら、川が涸れて井戸も涸れて、作物が枯死し、われわれは餓死してしまう。
みんなして、降り注ぐ雨の下で暮らしており、それぞれ降り注いできたぶんを、自分も何か生産して、献上して返そうとしている。
みんなして、降り注ぐ恵みの下で暮らしていて、恵まれたぶんを、何かお返ししようとしている、「あなたがどうするか」の問題ではなくて、これは「われわれがどうするか」の問題だ/あなたが町中を掃除すればいいわけじゃない、町中の掃除は「誰かがやればいい」のだ、ここではあなたの献身は「不遜だ」と断じられねばならない、そんな勝手な献身は不遜だ。

あなたが基本的にマジメで、善良で、カミサマに何かを献上しろというのならいくらでもする、ということは、言われなくてもわかっている。
あなたがどこか内心で、救われたくて必死だというのはわかっている、だがそのままカミサマに縋ってもだめだ、「"みんなして"どこか内心で、救われたくて必死だ」というのがわからないままでは、あなたはカミサマを"個人的に"頼ることになってしまう、それはそもそもカミサマの御心に合わない。
僕は子供のころ、友人と、「おれは水泳選手になってオリンピックに出る」「じゃあおれは学者になってノーベル賞を獲る」と話したことがある、<<みんなしてこの世界に何かを献上しようとしている>>、われわれにとって赤の他人は無関係な存在に見えるが、それは「そいつが何をどうやっているかは知らない」というだけで、やっていることは同じだ、同じだからいちいち訊かなくていいだけだ、みんなして何かを献上して返報を尽くそうとしている。
今日も走って行く消防隊のサイレンが聞こえるだろう? 彼らは尽くしている、われわれもそのようでなければならない、広く雨が降り注いで作物が実る、それでわれわれも消防隊員も、似たようにじゃがいものフライを食っているわけだ、お互い赤の他人だが、やっていることは同じだ、降り注ぐ雨に何かをお返ししようとしている。

僕が書き話す真剣さは、美容師があなたの髪を整える真剣さと同一だ。

その真剣さは、一言で「サービス」と言っていい、それは個人的な真剣さではないのだ、ここのところを取り違えているから、あなたのマジメさは空転してしまう/自分だけの真剣さなんて持っている人はいないんだよ、誰だって「あいつらと同じさ」と赤の他人を同胞に持って、その真剣さを成り立たせている。
こう考えてみなよ、たとえば一人の消防隊員が、休日、教会のミサで礼拝をしていた、だが近くに消防車のサイレンが聞こえてくると、男はやにわに礼拝を蹴っ飛ばして立ち上がり、消防活動に駆けだしていった、刹那だけ神父さまに目配せをしてから……この男こそ、まさに神の「しもべ」ではないか?/神父と消防の男はアイコンタクトをする、神父さまは「よろしい」と言ってくれるだろう、神父は布教が命がけのサービス、消防隊員は消防が命がけのサービスだ、どちらも神のしもべたる礼拝の力を認めてよい、この神父のサービスと消防隊員のサービスは同じ一つの力が転じているにすぎないんだ。

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