☆いい女☆で行こう!

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感情はごきげん、人格は不機嫌2
きながら発見し、われながらいいこというなぁ、と感心してしまった。
「感情はごきげん」で、「人格は不機嫌」か、それなら「なるほどなぁ」と納得がいく。
「わたし、感情はごきげんなんですけど、人格はすっごく不機嫌なんです! ホントなんですよ〜っ☆」と言えば、この言はウソではない、ウソではないしものすごく説得力がある。
ものすごく闇っぽいが、そりゃ闇っぽいのではなく「闇」なのであって、でもここまで説明がつけばいっそ、それは「公明正大な闇」とさえ言える/「感情はごきげん、人格は不機嫌」という、このフレーズでどれだけ多くのことの説明がつくだろうか、これはなかなかいいことを言ったんじゃないか。

感情のコントロールは重要だ、トラブルは誰もトクをしないし、直近でダメージになりうるのは感情の不機嫌だ、そして感情がごきげんなら誰もが今日の一日をなんとか過ごせるのではある、それがデイリーで実際的な「生きていく力」なのだということは、決して否定されてはならない。
そして、「人格は不機嫌」といったって、人格はコントロールができないのだから、しょうがないじゃないかということがある、誰も好きこのんで人格を不機嫌にしたわけではない、自己責任もあったにはあっただろうが、それを今さらつべこべ言っても何の解決にもならない。
ただ、「話が通じない」ということがあって、今はこれは不思議ではなくなった、「話が通じない」のは、<<「人格のごきげん」から発されたものが、「感情のごきげん」に吸収される>>からなのだ/これはつまり、「あっ、人格のほうはいいんで、感情のほうだけお願いします」と、ごきげんサービスの注文が選択的になされていると言える、時代と共にマーケットの需要が変化したのだ、これならなるほど、「人格がごきげん」という存在が不要に扱われている理由がよくわかる。
たとえば典型例として、「人格は不機嫌」なアイドルタレントが、きらきらの服を着せてもらって、かわいいワンちゃんと遊んで、歌って踊って汗を流して、「感情ゎ超ごきげん☆!!」となると、それが今マーケット的にはズキューンとくるのだ/これは別にどちらが偉いとか正しいとかではなく、ただ人格のごきげんと不機嫌は対話不能だという事実だけがある、そりゃ人格の性質が違うのだからしゃあないやろと認めざるをえない話だ。

「What a wonderful world」は、人格的だが感情的でなはい。

ここのところに食い違いがあったのだ、僕は人格的なものを人間的だと感じているが、人によって感情的なものを人間的だと感じているのだ。
表面的には違いが見つからないが、ずーっと向き合っていくと、やがて違いが露出してきて明らかになる、一方は「人格が出てきて感情的なものが引っ込む」のに対し、一方は「感情が出てきて人格的なものが引っ込む」、あるいは前もって人格的なものは引っ込んでいるという人も少なくはない。
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