☆いい女☆で行こう!

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言葉は人が発するものではない

き忘れないように先に書いておこう、「言葉は人が発するものではない」。
言葉は、人に「入ってくる」ものなのだ、詩文が典型的だが……
言葉の本質が、自分の創作&出力ではないというのは巨大な発見だった、言葉は「重さ」のもので「エネルギー」のものではない。
頭頂部の上方から、降ってくるとは言わないが、入ってくるのだ、そしてそれは心臓部でガツンと止まる、ただしこれが心臓部で止まるのは人によって違うかもしれない。

言葉は上から下への「重さ」のもので、声が下から上への「エネルギー」のものなのだ。
ちょうどその両者が拮抗し合う、その拮抗の戦線が心臓だから、「人」なのだ。
びっくりだろ、詩を詠むということは、おれから言葉で出てるんじゃないんだぜ、言葉がおれに入ってきているんだ。
「この人が言った言葉」になるのじゃないんだ、おれが「この言葉の人」になるんだよ、今こそはっきりとわかるが、「人が何かをする」のじゃなく、何かが入ってきて「人になる」ということなのだ、別に神秘的なことじゃなく「マジ」のことでだよ。

鉄琴に撥(ばち)が当たれば音が出るように、おれの頭上から言葉が入れば声が出るだけだ。

なぜ声を出すのか? こうして文章を出力しているのも僕の「声」のひとつだが、こうして声を出すのは、上から入ってくる言葉の「重さ」に抗するためだ、エネルギーで抗するのだ、これをやらないと「重さ」の力でおれは地の底に突き落とされてしまうだろう。
このことには、その他の秘密もあるのだが、まあさしあたりおれにとってはこれだけでいい/頭上の言葉を読み取るだけなら正直カンタンなのだが(えっ)、それが「入ってくる」というときはたいへんだ、まさに生きているその人にならないといけないから、楽しくはあるがタフなことではある。

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