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言葉は人が発するものではない2

れわれはふだん、ウェブから大量のテキストを取得している。
そしてテキストは、書き手の文体を伴っていない限り、「声」の力を持たない。
「声」の力を持たないということは、エネルギーがゼロということだ/一方、「言葉」には無条件で「重さ」がある、エネルギーはなくても重さはあるのだ。
この、「重さだけがあり、エネルギーはない」というテキスト群を摂取すると、身に重さだけがのしかかり、われわれの魂は下降していくことになる、テキトーに言っているようだがこれは割とマジのことなのだ。

テレヴィの音声でもそうなのだが、そこに「言葉」しかない場合、言葉は無条件で重さを持つ/声は身体を伴っていないと「声」ではないので、けっきょくそこには「重さ」しかないということになる。
そして困ったことに、この「重さ」というのは、単純に不快ではないのだ、どれだけ胴体を停滞させていても「重さ」は感じられるからだ/停滞した胴体にはむしろ「エネルギー」のほうが不快に感じられる、くたびれているうつ病患者の横でジェームスブラウンのシャウトを流すようなめちゃくちゃはない。
言葉は無条件で一定の「重さ」を持つ/「軽々しい言葉」というのは本来存在せず、「重さを持つ言葉を、よくそんな低エネルギーで使うなお前は」という戒めとして、それが「軽々しい言葉(を言うな)」と言われるだけだ、そして幾人かの詩人や文筆家が、この言葉の重さに浸りきることで生きていけなくなり自殺に追い込まれていった。
言葉には無条件で一定の重さがあるのだ、問題は、「重さ」を感じていなくても、その重さは身にのしかかっているということだ、いわば「呪い」のたぐいが自家生成されているのだが、呪いなんぞ誰も詳しく知るべきではない/ただツイッター的な装置によるテキストの出力と摂取によって、われわれは自ら呪われていって下降している、言葉はすべてカミサマのものだが、強力な礼拝の胴体を持たないまま言葉ばっかり摂取してはならない、たとえカミサマのものであっても魂は「重さ」で下降していくのだ。

だから言葉を持たない動物は自殺しない。

動物は、カミサマの言葉を頂戴できない代わりに、その言葉の重さで下降していくということもないのだ、だから動物に礼拝は必要ない、家を持たないものが同時に重たい鍵を持つ必要がないみたいにだ。
「言葉」はすべて、カミサマから頂戴したものであり、カミサマの国へのナゾを解くために手がかりとして与えられているが、そのひとつひとつの鍵には「重さ」がある、胴体の鍛えられていない者が大量の鍵だけ持つと、その手がかり鍵の「重さ」によってむしろ下降が進んでしまう、この点で無限のテキストが二十四時間摂取できてしまう現代の通信環境はとても危険だ。

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