☆いい女☆で行こう!

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ゴーマンな腰振りと、しょーもないメスの気配2

ーい面倒だ、本当のことを話してしまおう。
女は、ヴァギナという穴があいていて、そこにペニスを突っ込まれると、いつでもバカになれるというリスクがある。
だがこのリスクは、「わたし」の存在が掴めていない女に限る、「わたし」が掴めない・失われていくという苦しい状態でいると、女はヴァギナ感覚に「わたし」を譲渡したくなるのだ、このことには本能のはたらきもあって、つまり自分の生が「わからない」から、次の世代に投げようというはたらきもある。
つまり、「わたし」という自己が掴めない女は、実は根本的な自己決定の能力がない、いつでも「ふらついているヴァギナ」にすぎないのだ、このことがわかっていたから昔は、女というと家の中に囲っておくものだったのだ/「ふらついているヴァギナ」は、好ましいペニスと出会ったらもうそちらに行ってしまって帰ってはこなくなるから。

何も珍しいことではなくて、当たり前のことなのだ、自己が掴めていない女はヴァギナなのだ、こんなミエミエのことをいつまでも「女のナゾ」みたいに扱う風潮はいいかげん付き合いきれない。
女が自己を掴むにはどうすればいいだろうか、それは言わずもがな、男でも女でもそうだが、「愛」に出会うことだ、人は誰かへの(誰かからの)「愛」に出会うことで、はじめて「わたし」の存在とその理由、および自己決定を見つける。
ただし、女にそれだけの愛を向けて、「わたし」の存在と自己決定を得させるのは、ただごとではないし至難のワザだ、女が好むファンシーな思い出をいくら足してやったところで、女が「わたし」を見つけることは決してない、人間なのだからそんな甘い話があるわけないのだ。
たとえ99まで壮絶な愛を向けたとしても、それが100に到達したことがなければ、女は適宜、出くわしたペニスと仲良しして、その都度「ヴァギナ自己」にふわぁっとなって、もう戻ってこなくなる、そりゃ当たり前の「定番」だ/女が100に到達したくて男と出会いたがるのはうつくしいことだが、それを放棄して盛(さか)んなペニスと出会いたがるようになるのは、残念ながらつまらんことなのだ、僕は女と寝るというのはわかるが、ヴァギナと寝るというのはわからないし好きじゃない、ついでに言っておくと男性のペニスの大きさは業(カルマ)と関連しており、ペニスが大きいというのは実は業が深くて不利なのだ、ギリシャ彫刻を見ればアポロンのペニスが小さくて「理想的」と示されているのがよくわかる、女がヴァギナ化してしまうのは「真実」じゃなくてただの「失敗」なのだ。

ヴァギナに向けてセックスをするのは容易だが、女に向けてセックスをするのは壮絶な根性がいる。

女が「ふらついているヴァギナ」にならないために、たとえば中東では女にだけ姦通の罪を重く設定したり、とにかく「貞操」でがんじがらめにしてきたのだが、それは防衛障壁であって解決の方法ではない、解決のためには女が「わたし」を掴みとるしかないのだ/つまり「この人と出会うために生まれてきた」「それがわたしだ」というところまで到達しないかぎり、女は本質的に野放しにすれば「ふらついているヴァギナ」にしかなれない。
こう考えればわかりやすいか……たとえば、優れた女性シンガーがいたとするじゃないか、そのときその女はとても強力に自己を発揮しているように見える、けれどもどこか、「結婚したらシンガー活動をやめてしまいそう」という感じがしないか? だとすると、それはそれだけ歌っていてもなお、その歌手は「わたし」でなはいということなのだ、もちろん婚姻のシステムに帰順したからといって女が「わたし」を掴めるわけでもない/こんなもん、もともとがこれだけ不利な「女」を、ヴァギナ化したとしても男には何の自慢にもならんのだぜ、男はすべからく女が「わたし」を掴むことに協力しろ、女をヴァギナ化してエロ湯たんぽにすることなんかクソ簡単すぎてつまんねえんだよ。

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