☆いい女☆で行こう!

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ゴーマンな腰振りと、しょーもないメスの気配3
は女に幻想を抱いている。
女も、女に幻想を抱いている。
よく女同士なら、「女ってひどいもんだよ〜」というが、そう言っている女だって、自分のヴァギナのタチの悪さを心底から知り抜いて言っているわけではない。
女はいつでも、クスリを盛(も)られてそのときのペニスを入れられたら、ふらーっとそちらのペニスへ流れて行ってしまう存在だ、そのための穴があいているのだ、このゾッとするようなものをよく知った上で、それでも「かわいい」「大切なもの」と言えるのでないと、男は女を愛していることにならない/性欲が盛(さか)るのを理由に「女を愛している」とは決して言い出さないように、でないと当人が混乱するから。

つまり、「○○ちゃんのことが大好き」とか、「キミのことを愛しているよ」とか「思い出がいっぱいだね」とか、信じたくなるのはわかるが、その愛では残念ながら「届いて(到達して)」はいない、女も必死にその健気な愛を信じて縋ろうとするが、本当の本当に「届いて(到達して)」いるかというと、残念ながらそうではないのだ/かといってそれがニセモノというのではない、なんとか愛し合おうとした者たちの健気さは崇高だ。
だが、もし人々の健気さとヴァギナの本質を「真っ向勝負」させたら、単なる威力としてヴァギナの本質が勝ってしまうのだ、いかに健気で涙ぐましくても、それだけではヴァギナのタチの悪さには勝てない、勝利できるとしたら唯一、愛が届いて一度は女が100に到達した場合だけだ、その場合だけ、女は「わたし」をヴァギナに譲渡せずに済む。
もし男が、セックスという直接の方法を通して、女に「わたし」を掴ませようとするのならば、そのヴァギナのタチの悪さを全面的に引き受けた上で、それでも愛してやるということが必要になる、ただしこれは壮絶なことなので、必ずしもこの方法にこだわる必要はない、フツーの感覚なら「ムリムリw」というたぐいだ。
女が目の前の男を信じて、ヴァギナの本質をすべて解放したとき、ヴァギナの力が嵐となって噴出してくる、それでもなお男が、その女の内に、ヴァギナではない「お前」を見つけてやれるか/これはヴァギナの力が嵐のように吹きすさぶ中、その嵐に直撃されて微動だにせず「お前」を見つけてやるという作業だから、よほど鍛えられている男にしかできないのだ、まして自己がヴァギナに食い尽くされていく真っ最中の女に向けてだ、<<女当人も叫んで拒絶する>>中、それでも微動だにしないで「お前」を見つけてやるということだから、いくらなんでも壮絶すぎるのだ、そこまでできたら「女を愛している」といって誰も否定はしないだろうよ。

「わたし」を掴んだ女に、「おめでとう!!」と送ってやるときが一番幸せだ。

女にとって、自分が何のために生きているのかという、定義が得られるかどうかの問題だ、別にセックスにこだわる必要はなくて、ただその定義が得られないと女はたいていヴァギナに自分を譲渡するということがある、そして僕はわざわざその方向へ足を引っ張る男どもが存在することにはどうしても肯定的になれないのだった/もともと自己を持っていない女に自己を放棄させるのなんて簡単すぎるんだよ、その逆がどれだけカッタルイものか、そのイージーなほうを男の自負にするのは本当にやめにしないかと提案したい(しかもそっちのほうが老けた女にはウケがいいという、ふざけんじゃねえよオイ)。
今、世界中の女性が、自己実現に向けて明らかな動きを示している、僕はそれを応援したい者だが、男を否定した女が自分だけで自己実現に至る(「わたし」を掴む)というのがどれだけ困難なことかも、年の功として知っているつもりでいる/できたらどの女性にも、「本当の愛を向けてくれた男性がいた」ということが背後にこっそりあったほうが、取り組みの支えとして有利なので、できたらそうであればいいなと、僕は祈っているのだった、もちろん大きなお世話というやつではあるけれども。
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