☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
<< 【聞け】若い女性とセックス【聞け】 | TOP | これまで見えていたものが、見えんようになっていく >>
【聞け】若い女性とセックス2【聞け】
紙に対抗できない=さびしい、という脅威がある。
そこで女性は、自分が男に「求められる」ということに希望を見いだす。
男が、業(カルマ)によって自分を求め、苦しんでもだえるほどなら、自分には「何かがある」のではないか、自分は空虚ではないのではないか/そう信じて縋りたくなる。
ふだんは何ということもないが、水面下からさびしさがせり上がるとき、自分が「求められる」ということに食いついてしまう/慌てることは何もない、ただ知っておくべきことがどうしてもある。

慌てることは何もないが、つまり、そのとき目的は自分が「求められる」ことであって、男を満たしてやることではない。
「求められる」と、自分は空虚ではないという気がして、白紙の脅威が止む、それが目的であって、そのとき目的の本質は愛ではない。
女はさびしいとき、「自分を求めて苦しんでくれる男」が、どうしても救いに感じられる/逆に、もし自分を求めてもこず、しかも心底満たされている男がいたら、女は「自分には何もできないんだ」と奈落に突き落とされる心地さえする。
それで女は、さびしさにおびやかされたとき、何かしらで「業に苦しんでいる男」のほうと付き合うことになる/そのこと自体が悪いわけではないが、けっきょく目的に愛があったか、慈しみがあったか、それとも自分のさびしさしかなかったのじゃないか、ということが問題になる。

なぜ「求められる」イコール「救い」に感じる? その時点で省みろ。

突き詰めるところ、「自分のさびしさを慰めるために、男の業を(最大限煽って)利用した」ということだけが残る場合もあるのだ、そんなことけっきょくろくなことにならないに決まっている。
まして、その「求められる」ということは、女性にとって生涯続くことではないのだ、一方で「自分は何のために生きているのか」という白紙の脅威は生涯続く/紆余曲折はしょうがないが、「求められる」を恒久の救済と信じてはいけない、ふと気づくといつのまにか、他人の業を期待して、自分を救済に使おうとしている。
えっちはいいよな | comments(0) |
コメント
コメントする










| /PAGES |