☆いい女☆で行こう!

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男の資格と女の判断2

だこの話は取り上げるつもりではなかったのだが、まあタイミング的にしょうがない。
1.胴体の解放から爆発的な活躍力を具現し、かつ、2.<<真我によって差別感覚から離脱している者>>は、"カーニバル"という特殊な祝祭の力を、その身と声と眼差しに帯びる。
常日頃から、己の身分をよく感得し、恩恵に礼し奉仕を尽くすことを怠らずにきた者は、身分の高低にかかわらず、"カーニバル"の生み出す肥沃にあやかることができる。
常日頃から、己の身分を錯誤し、恩恵を見ず奉仕をないがしろにしてきた者は、身分の高低にかかわらず"カーニバル"の肥沃にあずかれない。

男が女に"普遍的"に手を掛けるという、ロマンチックふうの「危険」な発想とシーンは、もともとカーニバルという祝祭の力に支えられてしか成立しないのだ/カーニバル中のお尻タッチと満員電車中のお尻タッチはまったく同列には扱えない。
こんにち、誰も「日頃から己の身分を尽くせ」とはまったく教わっていないので、多くの人は、生涯に亘って一度もカーニバルの肥沃に浴することがない、ひいては密室で妄想をしてそれを「世界」だと思い込むよりない/「お正月」や「クリスマス」や「旅行」「バカンス」「夏の海」等の特別なムードが消失したのも多くはこのことによる。
仮に、身分の非体得者の目前に、慈悲によってカーニバルの肥沃が分与されると、非体得者は目前の肥沃を「己の徳がもたらした果報」だと誤解する、この誤解は強烈に作用し当人に妄想様の症状までを呈する。
僕の友人たちへ、これわかりますか、つまり日頃から己の身分を感得し、己の身分を尽くしてきた者たちのみ、カーニバルのときに<<晴れ晴れと>>、カーニバル・ハグやカーニバル・キスを交わせるということ、男女の普遍的な愛なんて、カーニバルの力を借りて――またそれに帰依さえして――しか具現できないのだ/またカーニバルは一定の広場で生じるものであり、密室的に生じるものではないことを覚えておくのがいい。

「カーニバルからキックアウトされる」、これほどつらいことはないので、訴訟的正義に縋ろうとする。

本当は、日頃の行いが「身分を尽くしていない」ので、カーニバルに浴せないということなのだが、そんなこと今どき誰が教えるか/われわれが愛や「ごちそう」を享受できるのは「ハレの日」だけであって、このときのために「ケの日」に身分を尽くしていないと、愛や「ごちそう」に手を出すことが、えげつないカルマ増大になるのだ、そしてわけのわからなまま「不穏な中年」になっていってしまう。
ものすごく単純化すると、日頃の行いと修身によって、カーニバル権利者と、カーニバル非権利者がいるのだ、非権利者はわけのわからないまま、肥沃にキックアウトされることを「不平等だ」としか感じない/なぜ甲はセクハラにならないのに乙はセクハラになるかというと、甲はカーニバルの中にあって乙はカーニバルの外にあるからだ、そりゃ日頃の自分の内心を鑑みればカーニバルに浴せないのはさすがに心当たりがあるだろ……いやそうでもないから、今は全力訴訟の世の中に向かっているのだった。

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