☆いい女☆で行こう!

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おのれの身と顔面が「グロ化」する現代
、ガチのセクハラ加害者がいて、ガチのセクハラ被害者がいる、そしてこの両名のあいだで、男女という世界が定義され直そうとしている。
面倒くさいので、「加ハラ」「被ハラ」と省略するが、加ハラにせよ被ハラにせよ、両者はこれまで「カーニバル」という事象に浴したことがない。
実は、こんにちの世相のすべてが、この「カーニバルに浴したことがない者たち」という、わかりやすい一点から生じている/カーニバルに浴したことがない者たちが、われわれの世界のすべてを定義しなおそうとしているのだ。
なお、改めて断言しておくが、僕はガチのセクハラ加害者の男については、一切の抗弁を認めず弾劾する者だ、断罪する資格を僕は有していない断罪はできないけれども/カーニバルの力を帯びていない男のセクハラなんて闇の暗鬱以外の何物でもない、卒業アルバムをダーツボードの代わりにされて「楽しい〜!!」と雄叫びを上げられるぐらいには厭悪感のあるものだ、自分の「笑顔」に"グロテスクさ"がみなぎっていることを自覚するしかない。

われわれの、この「肉の身」は、リスクがあり、衝動があり、負担もある上に、やがて衰えて醜く死ぬらしいという、とにかく「なまなましいもの」だ。
このなまなましさ(グロテスクさ)によって、われわれはすっかり弱気にさせられてしまい……やれ「食べる」ということは制限的になり、「飲む」ということにも怯えるようになり、タバコの煙に健康被害がありうるとか、放置自転車があると気に障るとか、仕事できつく言われると超ぐったりするとか、毎朝もう何か悪寒があるとか、ポリコレに反しているとウッとなるとか、女扱いされたりLGBTがうんぬんとか、とにかくわれわれは、己が具有している肉の身に「おびえる」ということしかできなくなった。
やたら筋トレというか運動というか、「フィジカル」とか「ボディ」とかいって、結局は肉ではなく筋や心肺「能力」ばかりを鍛えたがるのも、われわれの肉の身が「腐敗」し、グロテスク化したその肉の実感に耐えられなくなったからだ、われわれはつまり、己の肉の身のすべてに怯えて、ヒイイイイーと悲鳴を上げているだけなのだ/しかもこれはもう抜け道がない。
もともと、「すばらしい食いっぷり」「見惚れる飲みっぷり」「紫煙にまみれているのがよく似合う」「自転車なんかそのへんにほっとけよ」「つい襟首を掴んでオイ! って」「毎朝起きたら、咥え煙草でションベンしてガッハッハだろ」「ババアかいるんだから席を空けてやれボケ」「ミニスカート穿いてきたらオゴっちゃるわ」というのは、天が肉の身まで下落して祝祭を受ける、カーニバルという力から成り立っていたのだ/もういいかげん断定するべき時期に来ていると思うが、グロ化した肉の身にウフフパウダーをかけてごまかすやり方は、一切救われないだろう、「救われない」という、これが本当のことだと断言する時期だ、そりゃ信奉したものが間違っていた(というか、工作に引っかかった)のだからしょうがないのじゃないか。

おれがエグいのじゃない、お前らがグロいんだ。

もういいかげん、婉曲している時間はなくなってしまった/おれがトランクス一丁で煙草をバカスカ吸っているのと、スーツを着たポリコレおばさんが疲れて膝を緩めたところからパンチラを見せているのを比べたら、グロいのはどっちだ、おれがケンタッキーフライドチキンをガツガツ食いながらエロビデオを次々にクリックして「うーむ」と賞翫しているところと、「女子会」で女が「マジ婚活とかさあ!」「ウケる−」とねじ曲がった声を上げているところを比べたら、グロいのはどっちだ、この「グロい」「グロテスク」というのがカーニバル喪失の証拠として出てくる。
昭和の映像を観ていたら、ふんどし一丁の漁師さんとか、バラエティ番組でおっぱいを出している女性タレントとか、いくらでも出てくるけど、どれも「グロい」とは感じないじゃないか、一方現代では、己の身が己でグロいと感じて(気づいて)行き詰まっている女性は今すでにけっこういるんだろ/別に昭和のものが偉いなんてバカな話は一ミリもない、ただ現代のわれわれが、「カーニバルの祝祭力を失った者たちの姿」だということだ、人間はカーニバルの祝祭力なしではグロテスクさに勝てないので、己の身と顔面がグロ化するというのは、逃れようなく苦しいことだ(解決は、身分を尽くしてカーニバル権利者に帰参するしかない、ただそれなりに時間が掛かるし、カーニバルを具現できる人が次々に殺されていっているという問題もある)。
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