☆いい女☆で行こう!

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額面通りの人になる2
間には、「唾棄」というナゾの行為がある。
実際に唾を吐かなくても、何か、「唾を吐く」という感覚事象があるのだ。
誰だって、好きになれないものとか、納得のいかないもの、きらいなものがあると思うが、「唾棄」というのはそれとはどうやら種類が違うようだ。
「唾棄」「唾を吐く」という感覚事象は、一種の儀式か呪術のようにはたらくところがある/唾棄したものはもう消えないのだ、自分の人生や存在の定義になってしまう、唾棄は思ったよりもきっとインパクトの大きな決定をもたらすのだ。

その典型例が、いわゆるDQNの人だと思う。
オレDQN目指してんすよ、といってそれを目指した人はきっと存在しなくて、どこかで知らぬ間に「何かに唾を吐いた」ことによって、そのことへの自己決定が為されたのだと思う。
誰だって、自分の好きでないものに対して、「お断り」するし、「拒絶」もする、また「否定」もするかもしれない、だがやはり「唾棄」は別だ。
街中には、いわゆるDQNというようなタイプ、あるいは、雑誌の中から出てきたような血の気のない「おしゃれ」のかたまりみたいなタイプ、また、どこかヨダレの匂いがしそうなパンク女のタイプ、薄汚いルポだけがギョーカイと信じて生きねばならない脂肌のタイプ、などが色とりどりいるが、これらのタイプは、もう自分で「やーめた」といっても<<やめられない>>のだ、「額面どおり」を最後までやらされることになると思う/なぜだかはわからないし、ただの僕の気のせいかもしれないが、なんとなく、唾棄からすべてが決定するというパターンは、もうどうしようもないという点から、妙に切なくて、胸が痛くなるように僕は感じてしまう。

否定はしても唾は吐くな。

おそらく、「唾棄」ということには、不穏な強烈さと、取り消しが利かないというリスクしかないのだ、わざわざ自分でやることじゃない/何か本当に解除不能の「がんじがらめ」にされるのだ、すべての運勢もそこで決定されてしまいそうな……まあそんなこと言い出したらただのオカルトだな。
唾を吐いて何かが「決定」してしまった人に、僕の好みの女の子が巻き込まれることだけがきらいだ、それさえなければ、なぜか取り消しの利かなくなった人たちの姿は、胸に切なく迫るところがある/何かに唾を吐いたときから、<<額面どおりに生きるしかなくなった>>、もう「やーめた」とは言わせてもらえなくなった、そのままゆくしかない、それはわれわれの真実の姿の一端なのかもしれない。
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