☆いい女☆で行こう!

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We don't accept defeat3
にいうと、われわれは安心が要るのだ。
不安に駆られているような奴はどうしても弱いから、弱いということは何もかもに不利にしかならない。
単純な話、<<男が女をジロジロ見ると、不安が生じる>>し、<<女が男をジロジロ見ると、安心が生じる>>のだ。
女が女をジロジロ見ても不安が生じるし、男が男をジロジロ見ても安心が生じるのだ、なんとまあ、不思議でかつ単純なことよ。

たとえば、僕は男で、このブログだって毎日何百人かの人が読んでいるのだが、読んでいる人は女性が多いのかなあ(いやよくわからんな)として、男の話をみんなでジロジロ聴いているのは、なんとなく「安心」の相が出るのだ。
僕は、何を持ち上げているのでもなく、ただ僕がオリャーと書き話しているだけなのだが、これによって「安心」の相が出るのは、僕が女々しいタイプでない「男」だからだ/こういうアホ男を、気のいい女の子がにこにこ見上げて持ち上げていると、ことの是非はともかくとして、「不安」の側へ転じることはないのだ。
うーむ、つまり、これがやはり「身分」なのだ、身分の低い者が高い者をジロジロ見ることは「安心」につながり、逆に身分の低い側がジロジロ見られる側に立つことは、わけのわからない「不安」を生じるのだ/この「不安」は、全体を敗北のほうに引き込むだけなので誰もトクをしない。
うつくしい女たちへ/女がうつくしいというのは本当の本当にすばらしい(極限にすばらしい!)ことだけど、それでもなお、あなたが「ジロジロ見られる側」になるということは、正しいことではないみたいだ、あなた自身に何かをジロジロ見る眼差しがあるべきなんだ、その眼差しが保たれたとき、あなたは自分の女としての像に確信と誇りが持てるだろう。

女は「うつくしい側」だが、実は「見られる側」ではない。

何か、漠然とした不安・不穏・勝利の光が予感されないという状態があるとき、<<見る側と見られる側が入れ違っている>>のだ/たとえば志村けんがグラビアの女の子を脇に置いていても不穏にならないのは、志村けんというスケベおじさんのほうが目を引くからだ、みんな志村けんのほうを見ているので、そこには不安が生じず「安心」が生じる。
うーむ、これは重大な発見だ、われわれは勝利に向かうため、<<見なくていいものを見ないこと>>という鉄の掟を守る必要があるみたいだ、つまり注目してはならないテーマがあるってことだよ。
できるオンナだね | comments(0) |
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