☆いい女☆で行こう!

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We don't accept defeat6、「しょーもないカルマ」

便宜上、「ジロジロ見る」と書いたけれども……
実は、この「ジロジロ見る」という時点でもう間違いだ、凶相はもう始まっている。
人は、「不安」に首根っこを掴まれると、自動的に「ジロジロ見る」という機能のものに変化するのだ、不安と不穏を癒したくて、自動的に何かを「探す」という目つきと目の動きが始まる。
アイドル的な顔や、表情、特に笑顔、またその声を、自動的にジロジロ見るようになり、アイドル的な表情に「不安をごまかす癒し」を見つけて、それが脳に燦然と刻まれるのだ、こうして根の深いアイドル愛好やアニメ愛好が起こっている。

<<不安を抱えていると、顔の見え方が変わる>>ということ。
なぜか、人は不安を抱えていると、「人」が見えなくなり、「顔」が見えるようになる、それも異様に精細に、生々しく見えるようになる/だがこれは、物事の見え方に目が啓かれたわけではなく、業と因果によって「そう見えるようになってしまった」ということだ、本当にそこにあるものが見えるようになったわけではなく、自分が執着するものに「引っかかる」という状態になったということ。
カルト宗教にせよ安物アニメにせよ露骨なアイドルにせよ詐欺業者にせよ、そこに見るからに明らかな「作り笑顔」が示されてあるのは、部外者にとっては「だまされっこない」ものなのだが、不安を抱えている者にとってはそうではないのだ、不安を抱えている者にはその露骨な作り笑顔こそが脳に燦然と刻まれるという性質がある。
人は、しょーもないカルマに引っかかり、不安に首根っこを掴まれるのだが、不安に首根っこを掴まれるということは、本来見えているべきことが「見失われる」ということだ、そして本来見えているべきことが見失われるということは、見えなくていい欺瞞や錯覚がありありと見え始めるということだ、そのときは身体を動かせ、ふりほどけ、不安の中で見えてきたものは決して真実ではなく常に魔物だ、不安の中で得られる諦観風味はエセ演歌にすぎない、それを引き受けるがごときで人生が獲得できるというほどこの世は甘くない、どこまでいっても不安に屈したとき待ち受けているのは人生の喪失であって獲得ではない。

強烈な不安は、しょーもないカルマだ。

こんなものに、われわれはやすやす引っかかるのだ、しょーもないカルマに引っかかったとき、われわれは強烈な「不安」のさなか、<<見えるべきが失せて、見えざるべきがありありと見えてくる>>ということを、よく覚えておけ、これは本当に誰も一ミリもトクをしない、あなたはこの一点に抗するためにこの世に生を享けたようなものなのに、ここであっさり屈していたらせっかく生まれてきた甲斐がない(マジでない)。
われわれが、しょーもないカルマに引っかかるのをやめたとき、すべてのノンフィクション的説得力は、「は?」としか感じなくなる、だって本当に「は?」だからだ、カルマには実にそういった説得力があるが、われわれはしょーもないカルマを循環するために生まれてきたわけでは決してない/露骨にひでえことを言っておいてやるが、ヨソの田舎にいくと田舎の人がこちらの顔をやたらジロジロ見てくるのはこのためだ、不安に首根っこを掴まれる=ジロジロ見るという性質なのだ。

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