☆いい女☆で行こう!

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We don't accept defeat10、「徳関係」
とんど蛇足だが、われわれは「徳」と「業」の中を生きているのだ。
下を向くと、われわれを縛っている「業関係」がまざまざと見えてくる。
上を向くと、われわれが行くべき「徳関係」が光にかすんで視える。
業の第一は生命であり、続いて身内、地元、共同体、業者……と連なっていく、業に縛られるわれわれはこの「業関係」が実に見えやすいが、それはけっきょくわれわれの行く先ではないので、これをジロジロ見ていても実は何の足しにもなっていない。

飯屋に行って千円出せば、カツ丼が出てくる、それはそういう業者だからであり、業務であり、生業だからだ、このことは誰だってわかる。
一方、そこで何円出そうが、「精魂込めたカツ丼が出てくる」という場合、これは業から離れている、それは「徳」によって出されてくるカツ丼だ、このカツ丼の味わいは誰にでもわかるというものではない。
われわれは、誰だって一人では生きていないのだが、それは片面として「業の関係で縛られている」ということであり、もう片面としては、「徳の関係で出会っている」ということがありうるということだ、ただどちらの面を見るか、どちらの面が「見えてしまうか」という差だけがある。
われわれは、下を向いたとき、業で縛られた業関係がすべてであるように見え、徳関係で得られる絆などは存在しないかに見え始める/けれどもわれわれがそうして業関係に沈み込んでいくことがもしあったら、それは自己の生の終焉に向かっているということだ、なぜならわれわれは、もともと、業によってこの世に生まれ落ちたのであり、もともとは、その業を償却するために生きようとしたのだから。

逆に、業者、共同体、地元、身内、生命……と償却していくと、本当の「わたし」に到達する。

単純な仕組みだ、業関係の下降路を、逆行すれば徳関係の上昇路になる/飲食業者を超え、食べ物屋を超え、どこの誰でもなくなり、どの家の者でもなくなり、生命の保守を無視してカツ丼を作る、そのとき「この人はあの世でもカツ丼を作っているのでは」という気配が漂ってくる、それが徳性だ、この人のカツ丼を食べるとき人は特別に手を合わせる。
僕が思うに、バーンスタインは音楽業者じゃなかったし、音楽連中でもなかったし、どこ出身の、どの家族の者でもなく、死のそのときまで「バーンスタイン」だったと思う、だから「バーンスタイン」のままあの世に行ったんじゃないか/下を向けば業関係しか見えなくなる、だがどれだけ情念深く強弁してみせたとしても、「この人はあの世でもこれを続けているのでは」と直感される徳関係の出会いと絆への抗弁にはなりえない、われわれは何のために生きるか? われわれはけっきょく業関係によろこぶということが不可能だ。
できるオンナだね | comments(0) |
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