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ポル・ポトが理想的全体主義社会を希求して市民を殺しまくった理由

ほどの記事に、拍手ボタンをつけてみたのだが、たまにはいいものだな、ラブメッセージをまだ入れていない奴は早く入れるように。
それで、もういいかげんわかってきたよ、「社会」を幻想している人は「全員」という事象が見えていないんだろ。
それで、「全員」という事象が本当に見えない人が、絶望的に全体主義社会を希求して、そのなれの果てが共産主義国家になり、独裁者を生み出して、市民の虐殺を生んだということだ。
つまりポル・ポトには、「全員」という事象が本当に見えていなくて、「社会」という幻想しか見えていなかったんだよ、それで完璧な全体主義社会を作ろうとした、完璧なそれを作るためには、わずかでも個性を持ちうる人を殺すしかなかった(ムリ)。

「全員」という現象がある。
というのは、現在のわれわれは、たとえば聖書に倣えば、もともと一個の「アダム」(ウパニシャッドでいうと「アハム」)が分散したものにすぎないからだ。
われわれはもともと、一つの存在なのです……と、ウルウル神秘主義に耽っても意味ねえよ、そういうことじゃなくて、「全員」という感覚事象があり、その事象と己が接続可能だということ/おれはマジの話しかしねえよ。
ポル・ポトの対極に、たとえばチャビー・チェッカーがいるな、別に不思議がることでもなく、「全員」というナゾの力に接続している奴は実際にいるということ/この接続を得られない奴が現代で「社会」を幻想しているという、ただそれだけの話だ、たいして悲しい話でもねえな。

他人を傷つけてしまう病気を「社会人」と呼び、また、他人に同情してしまう病気を「社会人」と呼んでいるだけだ。

なぜかというと、「全員」という事象が捉えられていれば、他人を傷つけることは「全員」のテンションを下げることなので、そもそもそんな発想が出ること自体おかしい、他人をボコボコにするのはかまわないが傷つけるのはいけない、「全員」という事象を弱らせてどうする/もともと「全員」が視えている人は、そもそもそんなアホな発想を持たない。
ビートは万人に平等、ということではなくて、ビートは初めから「全員」という事象に届いている、疑問とか迷いとか躊躇とかが出てくる時点で土台が根こそぎ大間違いだ、「わざとらしさ」が出てくるようでは毎日がツラ〜イでしょ/映画「フットルース」には何のわざとらしさもないし、どのシーンを見ても「社会人」なんて映像はない。

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