☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
<< 多くの場合、人生はびっくりするぐらいつまらない | TOP | 多くの場合、人生はびっくりするぐらいつまらない3 >>
多くの場合、人生はびっくりするぐらいつまらない2

、これはどうやらマジで、ドエライことに気づいてしまったらしい。
「カルマ繰り返されるマン」は、正確に言えば、マンでさえない、「カルマ繰り返される肉」だ、本当に「カルマ」という現象が肉の姿に成り立っているだけだ。
カルマ肉が生成されて、カルマ肉が滅んでいくだけなんだな、そりゃ何も変わんねえわけだ、それはなんというか、「紙芝居に描かれている絵が変化するわけないだろ」というような次元のことだ。
なんというか、本当に繰り返される「だけ」なのだ、そりゃ何にも出会っていないんだものな、同じ肉の同じ具合が繰り返されるだけに決まっている(と、理知としてはわかるが、それにしてもあまりにもオドロキだ)。

もはやここにきて、こころのある人とない人、という分類さえ意味がないじゃないか。
分けるとすれば、「人」と「カルマ肉」を区分しないといけない、後者は言ってしまえば「人」ではない。
でも確かに、考えてみれば、「人」という感触はしねえもんなあ、とはいえまさか、「人」と対話しているのではなかったとは……ある意味「カルマ肉」だからこそ、何も進まないその生き方にまったく疑問も迷いも生じないということなのね、それなら逆に話はわかるわ。
そりゃカルマ肉が何かと「出会う」なんてことはありえねーわ、カルマ肉の機嫌がよくなったり悪くなったりするだけなんだな、そしてカルマ肉の生産活動が、向上したり下落したりするだけということか、でも確かに、それがこの世界だという見方は実態にも学門にも合致している。

カルマ肉に何かが届くことはないし、カルマ肉から何かが届いてくることはない。

届くとしたら、カルマ反応物質が届くだけで、また届いてくるとしたら、カルマ反応物質が届いてくるだけだ、だからキャバクラのねえちゃんに褒められてごきげんになるという人が、ガチで存在しうるのだ。
僕は人に冷たくするようなダサ男じゃない、が、カルマ肉にやさしくするというのは理論的に不能だし、カルマ肉に「人」という性質を恢復してやるというようなことは、正直僕にはさっぱりやり方がわからん、そんなやり方は存在しないのじゃないかとさえ思える。

正しく見ないとな | comments(0) |
コメント
コメントする










| /PAGES |