☆いい女☆で行こう!

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カルマ肉の真相
「カルマ肉が循環しているだけですやん」という看破は、一部の人に大ウケしたようだ、「目が覚めるようでしたよ!」と/確かに僕自身、改めて「んっふwww」と笑ってしまうだけのパンチ力がある。
僕は人をバカにするのではなくて、こんなものを「人」とは認めないというだけだ、だって本当にカルマ肉が循環しているだけなんだものな、<<どうりでコイツ何も勉強しねえなと思ったよ>>、人として存在していないものなら勉強しないのは当たり前だ。
カルマ肉は、もう長いこと「人」のふりをしているので、ここまで膨大な「裏切り」を蓄積してきているはずだ、そしてその「裏切り」を、いざというときには泣き落としで許してもらおうという魂胆でいるな、なぜ彼(彼女)の中でその甘い見通しが独自に成り立っているのかは意味不明だが……
カルマ肉はけっきょく、立ち回ったり、恫喝したり、立場や慣習を利用したりで、本当のことを引き受けて対峙することを避けてきたのだ、そこには罪というより近所迷惑が生じた、そして本当にただのカルマ循環の時間しか過ごさなかったというのは、懲罰というよりはただの「妥当なところ」だった。

「カルマ肉循環」or「学門」という、単純な二者択一だけがあるのだ。
すべての生きものは、放っておけば、生来的に付与されたカルマのとおりに、その生涯をぐおんぐおんさせるだけだ、「なんだこれ」と言われても、本当に何でもないのだ/木星が木星として浮かんでいることが、「ただそれだけ」としか言えないことのように、カルマ肉の循環というのも、「ただそれだけ」しかないのだ。
生きものは、いったん生まれたからには、死に向かっていくしかないので、ゆくほかはないのだ、<<下へ下へとゆくほかはない>>、何に焦がれていようとも、どれだけ焦がれていようとも、下へ下へとゆくほかはないのだ/その唯一の例外が「学門」にあたる。
おれの言うことより、カルマ肉の誰かが言うことのほうが、ドーンとした迫力と説得パワーがあるよ、なぜならそれはカルマ肉の呼応があるからだ、おれの話すことは笑えるだろ、あちらさんの話すことはけっきょく「笑えないこと」に行き着く、それがドーンとした説得力の正体だ、アンド、グッバイだ。

カルマ肉の真相は、「人」の真相ではなかったのさ、グッバイ。

だからカルマ肉の真相を、見つめて追究することには、畢竟何の意味もない、意味のない苦しみが猛然と繰り返されているだけだ、<<繰り返されるものの始まりや終わりを探して何かが見つかる可能性があろうか?>> 今さらグッバイではなく、初めからグッバイだったのだ、そこにもともと「人」なるものは存在しなかったから。
カルマ肉は、いっそ、すさまじいと呼ぶべきほどの執念で、「人」のふりを続けている、その涙ぐましさまでちゃんと計算に織り込んでだ/しかしその執念的なやり方をいかようにしても、カルマ肉が「人」の身分に昇格することはありえない、どれだけ焦がれてもがいたとしても、下へ下へとゆくほかはないのだ、なぜそうなるかというと、うーん、正しいやり方を知らないからだ、シンプル過ぎて笑える結論だな。
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