☆いい女☆で行こう!

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カルマ肉の真相6(執着)
れわれの、生命活動の基本は、カルマディスクに書き込まれており、われわれはこのカルマディスクによって、自動的に生命活動を営むようになっている。
つまり、第一には「死を恐怖する」、第二には「食べ物を求める」「痛み、ケガ、病気を避ける」「老化に恐怖する」というようなことだ、その先に「上等な衣服と食事と住居を求める」「名誉を求める」「異性を求める」「評価を求める」「バカにされたくない、バカにされると腹が立つ」「負けたくない」「優越感に浸りたい」「むさぼりたい」というようなこともすべてカルマディスクに書かれている/その中に、やけに粗暴であったり、やけに見栄っ張りだったり、やけにプライドが高かったり、何か特殊な性癖や恐怖症やコンプレックスがあったりすることも書かれている。
仮に、人格というものをまったく持たない人体があったとしても、内部にこのカルマディスクが入っている以上、表面上はまったくつつがなく「人」のように暮らしていけるのだ、よく働くし、異性を求めるし、バカにされるとすごく怒るとか、権力に敏感で、おだてられるとあっさり真に受けるとか、割と説教もするしとかで、まったくそういう「人」であるかのように表面上は見える。
しかしそれは、カルマディスクのはたらきであって、どこまでもその「人」のはたらきではないのだ、そしてこのディスクは、どうしても避けようがない「死」という滅びに向かっていることから、次第にわけのわからないコードを排出し始める/カルマディスクに書かれているコードは、もともと肉の身に成立しないことばかりなのだ、どれだけカルマディスクの指令どおりに強力に生きた人があっても、最終的には「何一つ得られない」ので、カルマ肉は必ず最後には「破綻」するように作られている、仏教ではこれを「一切皆苦」という。

カルマ肉は、カルマディスクが吐き出すコードによって、さまざまな切り替えや、立て直しをするかに見えるが、実のところ何一つ変わってはいない、その背後には「人」がいないのだから、カルマ肉としての「バリエーション」が変化したにすぎない/またこのバリエーションがそれなりに豊富なだけで、いちいち注目を集めるという余計な性質がある。
カルマディスクは、第一にはカルマ肉に生命活動を維持させるためにはたらいているので、カルマディスクがタイミングに合わせたコードを吐き出すたび、カルマ肉は「元気」になる、何につけここぞというときに「怒鳴る」という人があるのはこれが原因だ、この怒鳴り声は人の肉を損傷する典型的な「カルマ声」となる。
われわれが気づかなくてはいけないのは、ただ一点、「死を恐怖する」のは<<誰でもそう>>だし、「バカにされると腹が立つ」のは、やはり<<誰でもそう>>ということだ、これはその「人」の性質ではなく、生命活動をするわれわれに共通に付与されたカルマディスクのはたらきによる、「誰でもそう」ということは「当たり前」ではなく逆に「不自然」だと気づかねばならない。
別にその人に「人格」がなくても、カルマディスクがある以上、定められた刺激に対して定められた「大暴れ」をするのだ、これはカルマ肉の現象であって「人」の現象ではない、だからカルマ声で大暴れしているものの向こうに「人」を探してはならない、必ず「人」と「カルマ肉」を混同し、カルマディスクの説得力に己のカルマディスクが反応してしまう。

「執着=誰でもそう」が、カルマ肉の針。

カルマ肉は、カルマディスクによって、強力に「執着」をする……多く身内なんか、残念なことに、人が人を愛しているのではなく、カルマディスクによって「執着」しているだけというのがほとんどだ/母親が娘に対してなど典型的にそうで、母親は常に「母親が娘を放っておけないのは、当たり前、誰だってそうでしょう?」と思っている、この呼びかけの針が、こちらのカルマディスクに干渉する。
カルマディスクに書き込まれているコードは、すべて「執着」というコードで書き込まれている、そしてカルマ肉はけっきょくすべての執着について「得られなかった」という結論に行き着くしかないので、初めから苦しんで滅ぶようにできているのだ/われわれは単純に、カルマディスク外の行為、執着外の行為を得なければならない、それは生命活動とは直接関係のない行為だから、吐き出されるコードは永遠と不死のコードだ。
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