☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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継続する土下座主義
朧としているので、まあいいか。
「どうしてこんなにやさしくしてくださるの?」「わたしなんかに、ここまでしてくださって、あなたはわたしなんかにはもったいない人なのに」「わたしにとってはぜんぶ、信じられないようなことなの」「あなたはどこまでやさしい人なの、ケタちがいで、ちょっともうまともにはお話しできないわ」と、すぐれた女性からはこぞって言われる。
事実なのだからしゃーない、朦朧として隠す気にもなれねぇわ、僕はその称賛を無視して「知るか〜ぼけ〜」と生きているだけだ。
断定していいが、「どうしてこんなにやさしくしてくださるの?」という視点が天然で生じる人は、<<作り笑顔をしないで生きている人>>だけだ/どう取り繕っても、現代人のこころに及んだ闇はすでにとてつもなく深いのだった。

朦朧としているので、まあいいだろう、ほとんどの人は、<<自分の調子を整えるために、僕の愛を無視する>>ということを、ずっと続ける。
これは、僕の側からはずっとわからないままの事情だったが、どうやら、自分が根こそぎ愛のない生き方をしてきたことが、思ったより「罪深い」と感じられて、目を伏せずにはいられなくなるようだ、僕はそれが罪なのかどうなのかは知らないが、とにかく当人としては直視しがたいヤバさを伴うらしい。
それで、ものすごく簡単化して言うと、「九折さん基準にすると自分の身がガチでヤバい」と直面させられるので、慌てていつもの「自分基準」に戻すという作業をするようだ、「自分基準」というのはつまり「自己感情はどんな具合か」ということだから、「わたしたのしい」「わたしさびしい」だけが燦然と輝く至上命題になる、ということになる。
救われる道はただひとつ、「九折さん基準がクズのニセモノ」という説に立ち、その説を立証することのみだ、僕自身、僕なんぞがクズのニセモノであったなら、これ以上気楽でよろこばしいことはないと思っている、僕一人が方途を失って死滅するだけなら、僕としては何の異論も不服もなく、このきれいな世界をどこまでも見上げてくたばってゆくことができる。

けっきょく、僕が土下座してまわるというやり方から、次のideaが成り立たない。

今のところ、やはり引き続き、僕が無条件で土下座してまわるというやり方が、唯一安定する方法なのだ、僕としてはこのやり方に回帰してラクになりたいという衝動がどうしてもあるが、このやり方は、表面上はすべてのことを愉快円満に成り立たせても、なぜかその後、キョーレツな地獄落ちの夢を人々が見るというレポートが上がっている、僕がその夢を見るわけではないので僕はかまわないのだが、僕だけ平気だからそれでいこうというのも今や無責任で無慈悲にすぎるのかもしれない。
仮にここにAさんがいたとして、僕のいかなる意思も、Aさんの自己感情より優位・優先されることはけっきょくないので、Aさんの自己感情の手当に向けて、最大の効果を及ぼしうる無条件土下座を振る舞うのが最適解になる、<<僕を足蹴にすれば自己感情がパーフェクト回復する>>という生理レベルの事実が残されている以上、かつての土下座主義から進歩はしていないのだった、あるいは進歩がありうるという仮定じたいが誤っているのかもしれない。
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