☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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ファンシーなムード

ういえば、むかし、レズビアンの人に相談されたことが一度だけあった。
「知らんけど、お前は女のこと好きになるんだろ」と、僕は他人事だったが、彼女はつらそうに泣いていた。
今になって思えば、彼女の内側には、「男の人と恋あいがしたかった」という、果たされなかった願いがあったようだった、なぜレズビアンなのにそういった願いだけが残留したのかは、僕にはわからない。
その後も僕は、「知らんし」と冷酷だった/今思えばひょっとすると、彼女は単に女の子が好きというよりは、「女の子としか恋愛できない」という状態――に、引きずり込まれていくところ――だったのかもしれない、だとしたらつらさがあったのはまあわかる、ただ仮にそうだったとしても、今もなお、やはり「知らんし」としか僕には言えないのだった。

僕は、LGBTの当人に茶々を入れるつもりはまったくないが、近年の、「他人のLGBTに和んで微笑もうとする性向」には、何の肩入れもしない/はっきり言って僕はこのムードについては一ミリも信じていない。
今おそらく、生きてきて、まともな恋あいがなかった人、またこれからも、まともな恋あいは得られないという見込みがほとんど確定的という人が、とても多いのだと思うが、そのつらさを、他人のLGBTへの肩入れでごまかしたり、消去したり、慰めたりすることは本質的にできない。
せっかく何かしら、女として生まれたり、男として生まれたりしているのに、まともな恋あいが一度も得られないというのは、とてもつらいことなのだ、同性愛も異性愛も関係ない、愛を求めて得られない・わからない・認めたくないというのは、誰であっても正面から受け止めがたい激しいつらさだ。
何であれば、愛だけでなく、たとえば本当の青春がなかったとか、本当の友人がいなかったとか、本当の恋あいがなかったとか、本当の○○が一度もなかったというのは、どれもとてもつらいことだ、だがきっとそこで思い出さねばならないのは、過去のすべての人も、同じようなつらさを抱えて生き抜いていったということだろう。

LGBT等に肩入れすることはファンシーだが、自分の愛を戦うのはつらい。

自分の愛を戦うのはつらいことなのだ、何しろフラれるのは自分だし、傷つくのも自分、傷つけてしまうのも自分、笑われてバカにされるのも自分、謝罪せねばならないのも自分、「誰のことも本当には愛していないし誰からも本当には愛されてはいない」なんて気づいてしまって、直撃で苦しむのも自分だ、しかも「それでもなお愛そうとしないといけないのか?」と地獄みたいな問いが生まれてくる、それは余所事に肩入れして微笑む気楽さとは比較にならない/自分の愛を戦うということは、常に発狂や自殺のリスクまで含んでいる。
僕はもう、むかしからずっとフラれ慣れているし、笑われ慣れているので、僕自身「もっとつらくないとダメだね」といつも思っている/僕には僕のつらさがあるのかもしれないが、それについてもやはり「知らんし」と思うし、「知らんし」としか言えない。

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