☆いい女☆で行こう!

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僕にはけっきょく、「何かの人」がまったくわからない3

がまともに(正しく)活動しようとすると、僕は「ただの人」でありつづけるしかない。
僕は何かをがんばろうとしたことはないし、活発であろうとしてこともないし、何かの知識や、理解に長けていると思ったことも一度もない。
たぶん、この誤解は、半永久的に続くのだ、僕の主体に誰かの吾我が、取っ組み合おうとすると、噛み合いようがなく……どう説明したらいいのだろう? このことの説明は「不能」だ、これだけは明確に「不能」なのだと断言できる。
「音」が違うのだ、何の説明にもなっていないが、僕にとって音は「世界」なのだから/あなたにとって音は「音」だろう、音波として聞こえる音も勿論あるが、音波ではない世界そのものの音というのもある、それは鼓膜とは別のメカニズムで、しかし確かに「聞こえる」。

僕はどこまでも「ただの人」で、この世には「ただの人」以外は存在していないと感じる、その意味で万人は平等だが、おそらくこの「平等」というものを、どこかのアホが曲解したのだろう。
「ただの人」といって、表面上は優秀な人や拙劣な人がいるだろうが、どうせそれを比較しているんだろ? その「比較」という識行が出てくるのがまずおかしい、この世界に「比較」という概念は、概念としてあるだけで、概念は実体ではない。
概念しかわからないから、毎日ヒマなあまり、概念のヒートアップで生きているフリをしようとする……というのは言い過ぎか、いや言い過ぎでもないなあ、それにしてもこのことは、「比較の音を聞かせてみろ」と言われたら決着する、実体があるなら音があるはずだが、比較には実体がないので「比較の音」は成り立たない。
音がないものには実体がないのだ、僕は音がするすべての女を会う前から愛している、それは僕がただの男だからだ。

音楽から感動が生じるのではなく、感動から音楽が生じている。

そりゃあたりめーだ、われわれは音楽に対して消費者だから、「音楽を聴くと感動する」と思っているが、音楽の生産者は、音のないところから音楽を作るしかあるめえよ/「無音」が音的にnothingnessなのだったら、音楽家はパクリ以外に音楽の生み出しようがないだろう。
それはつまり、この世界そのものに音があって、<<感動そのものに音がある>>ということだ、僕には器楽的な能力や知識はまったくないが、正直なところ、作曲ができないという人のほうが意味不明だ、世界の音ってずっと聞こえてね?/音に従い、音に基づけば、違和感のない「世界」がある、比較という識行に音なんてねえよ。

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