☆いい女☆で行こう!

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「創る」ということは「間違う」ということ

というのは「あきらめないこと」だろうね。
「あきらめない」というと、いわゆる「ガッツ」とか「根性」とかかな、と思われているところがあるが、そういう意味での「あきらめない」ではない。
ガッツや根性で「あきらめない」というのは、その背後に欲や願望があるはずだ、愛においてあきらめないというのはそういうことではない、<<何の足しにもならんことをあきらめない>>のが愛だ。
「あきらめない」という、意志ではないのだ、あきらめる機能がないというか……それはまさに愛の世界だな、この愛の世界というのはひたすら「平和」なのであって、バラ色のものを想像している方は何か誤解をしていらっしゃいます。

情熱、というのとも違うな、情熱なんて要らんというか、まあだから「愛」なのだ、愛の世界が成り立つことを、その外側の世界の言葉で説明することはできない。
そう考えると、現代人のシリアスになっちゃう度は、愛の世界を知らないから、ということに行き着くな、愛の世界がなくて、代わりに何か「期待の世界」がはびこっているように思う、期待の世界というのはどうしても腹に一物ある感じになってしまう。
文学や芸術の方面では、「自由」や「生存・存在(イグジスタンス)」のことが言われるが、あまり「愛の世界」のことは言われない、西田幾多郎なら言及しているかもしれないが……だが概ね、芸術理論の中で「愛の世界」はあまり言われない、なぜ言われないかというと、そういう理論を提唱する人は、基本的に超絶賢く、「バカ」にはなりがたいからだ。
「愛の世界」というのは、基本的にバカだけが到達できる世界なのだ、その意味では古今に屈指のバカたる僕が、人類史上たいへん珍しい例として、きわめて高度な知性を有しながら「バカ」の実現をしてゆきたいと思うのだった、うーん何年経っても変わりませんなあ。

間違って創るのが「バカ」の力だ。

賢人とバカの違いは、間違いがすべてを「創る」ということについて、気づいているか気づいていないかだけだ、「創る」ということは「あきらめの機能がない(行方不明)」ということだが、バカは創っていることに気づいていないため、そもそもあきらめるうんぬんの観念さえ発生しようがないという強みがある。
対して「利口」な人は、どうしても観念上で「正しいこと」をしてしまうので、たとえば「バカになるほうが正しいんですよね?」としか発想できない、だから「創る」ということができない、そこであきらめるかどうかを考えてしまうということが利口ということで、「あきらめないほうが正しいと思う」と選んでしまうのも利口さのゆえだ、これを飛び越えているのが「バカ」であって、この飛び越えを意図的に出来る人が本当の賢人ということになるだろう。

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