☆いい女☆で行こう!

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常識に帰依した本人の迷子

分の人生と他人の人生は別モンだ。
どーもここを誤解している人が、近年増えている気がするが、それはSNSで他人の人生を覗き見するようになったからだろうか。
SNSで他人の人生を覗き見しても、コンセンサスは取れていないよ、そもそも「コンセンサス」という語さえ均一には通じない、コンセンサスを取ったことがなけりゃコンセンサスなんて何のことかわからない。
重要なのは、それぞれ違う人生の者が、「世界」の中で出会うことだ、<<自分の人生の中に他人の人生を理解できる要素は入っていない>>よ、そのことさえ誤解しなければわれわれは互いに話を聴く値打ちがある。

いわゆる常識というか、「コモンセンス」というそのものが、誤解であり幻想なのだ、本当は個々人が生きているから、やりくりのために一応の常識・コモンセンスが了解されあっているにすぎない。
SNS等を媒介して、常識を漁っていると、常識が「常識神」にでもなるのだろうか、常識神に帰依している人が多いが、それはカミサマではないので帰依してもけっきょく世界は与えてもらえない。
自分のOSに、他人の人生はインストールできないのだ、それを、常識という共通OSがあると思い込んでいるから、勝手にインストールできたつもりになって、実際には「このプログラムにはアクセスできません」というわけのわからないフリーズに陥る。
他人とイージーに通じ合うことがあるとしたら、それはそのときの他人がそれぞれに「本人」ではないからだよ、常識の範囲内に「本人」なんて存在しないのだから/そうして常識神に帰依した人は「自分」という主体性まで失うことになる、自分自身さえ「本人」ということがずっとわからなくなるのだ。

オレの中に愛はあるが、常識の中に愛はねえよ。

社会的生活や、そのオンライン版であるSNSにばかり顔を突っ込み、その情報ばかり漁っていると、まるで「常識の中に自分本人がいるはず」と思い込んでしまうのだろうな、だがどう考えても常識はカミサマではないので、その中に本人はいないし本人の人生もないよ。
常識というのは、逆だ、人と付き合うための「常識」ではあるが、正確には、<<「本人」とは付き合わないための常識>>だ、僕だって常識の付き合いの中では「本人」なんか出さねえよ、そりゃ大人なのだから常識ができないわけがない、ただそれは僕本人とは何の関係もないただのツールだ。

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