☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
<< UCLA大学から「カルマ」のレポート | TOP | 欲望のマントル層 >>
セックスで結合するもの
般に、A男くんとB子さんがセックスすると、「A男くんとB子さんがセックスした」と捉えられる。
が、本当の事象が起こるときは、「A男くんがB子さんでセックスした」というほうが正しい。
ふつう(現代人は)、そんな事象の本質にまで感覚は届かないが、まあ一応、フーンというネタていどに。
本当に正しくそれが営まれると、セックスにおいて結合するのは「男と女」であり、A男くんとかB子さんとかの個人的なスケールからは逸脱するのだ、「全的な男と全的な女が結合する全的な現象」が営まれるというのが正しい。

つまり、吾我に起こる「男」とか「女」とか、「やりたい」「やられたい」とかの現象よりも、「セックス」という現象のほうが、それ自体としてデカいということ。
正しくそれが営まれるとき、「セックスが男女の二人をつなぐ」のであって、「男女の二人がセックスをする」のではないのだ。
「セックス」という世界的事象が主体となって、そのとき男女は従体になり結合されるということ、これをそれぞれの吾我が「本能〜」とかいってヤッちゃうと、オオハズレで、何かあとになって「やめときゃよかった」と揉め事になるのだ/正しくそれが営まれると、どちらかというと「不思議」という感覚だけが後に残る。
吾我が認識し、空想したり憧れたりする「セックス」と、まったく異なる「セックス」というそれ自体の事象が、巨大なものとして存在するということだ/このことは、どれだけセックスに空想をたくましくしても、実体験を得るまでは絶対にわかりません、というかそんなもんわからんでええやろ。

正しく営まれると、官能なんかよりはるかにデカい「ナゾの大きな結合事象」の感覚がある。

天と地が結合しているのか、いやセックスだから地に関係しているのは間違いないだろうが、それにしても、地が解決し、天に飛翔するような何かの感覚がある、それはまったく個人的な事象ではない、これが正しく営まれたとき、少なくとも「性器」というようなアホなこだわりの感覚はない/この正しい営為においては、どれだけ乳がデカくても、どれだけコスプレが変態的でも、まったくの無意味だ。
これに比べると、どれだけ官能ブーストしたオナニーも、またどれだけ相互に官能補助しあったセックスも、ただの官能なので無意味だ、無意味っつーとアレだから、まあそれ限りのものでしかないということになる、官能のやりあいでは「ベッドルームが消し飛ぶ」というようなことはない、本当のセックスは天地的であり密室的ではない、まして性器的なんかであるはずがない。
えっちはいいよな | comments(0) |
コメント
コメントする










| /PAGES |