☆いい女☆で行こう!

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「突破力」は、「異性を愛する度」に比例する

ても奇妙なことを考えている。
人の「突破力」は、「異性を愛する度」に比例するのではないか、という仮説を考えている。
たとえば僕の場合、僕は女の子ちゃんが大好きなのだが、いくら女の子ちゃんを愛したとしても、僕自身が女の子ちゃんになるわけではないのだ。
とっても愛しているのに、その愛しているものに自分が「ならない」というのはどういうことなのだろう。

このように仮説を考えている/たとえば僕の場合、僕が男性であるということは「軸足」だ、逆に僕にとって女の子ちゃんの存在は、軸足でないほうの足、言うなれば「浮き足」のほうになるだろう。
そして、誰でも片足立ちになってみればわかるが、力ずくのジャンプやダンス的な動きをしないかぎり、軸足というのは体重が乗って「動かない」ものなのだ。
そこでダンスステップなどでは、ポップコーンやスポンジボブに典型的に見られるように、「浮き足のアクションに連動して、軸足もアクションが可能なのでは?」という発想に目を付けている、ふつうは動くはずのない軸足が「動く」から、それは通常の歩行や移動と異なる「ダンス」のステップになる。
軸足に体重を乗せて、軸足をジッと見つめている場合、軸足は決して「動くはずがない」、だから変化もできないし、その硬直は突破されない、軸足が「動く」可能性があるのは、浮き足を愛している者だけだ/浮き足と一緒に遊びたい軸足だけが、軸足のまま動くことを可能にする。

ダンスは堅気ではありえない。

堅気(カタギ)というのは、そのまま「気が堅い」という意味だから、堅気においては軸足はピーンと突っ張ったまま(気が堅い)、ダンスが生じることはありえない、そこに「軟派」が生じないかぎり軸足が動いてダンスが生じることはありえない。
本来は動くはずがない軸足が動くためには、浮き足を愛して付き合いたがる「軟派」が必要なのだ、これまで僕がわけのわからん突破を繰り返し、いくらでも「まったく別の男」になってきたのは、かわいい女の子ちゃんを愛して付き合いたかったからなのだ/別に何かを突破しようと努力してきたわけではまったくなくて、ただ障壁を突破する力は異性を愛する度合いに比例するようだった。

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