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他者の視線と地獄について

ルトルは「地獄とは他人のことだ」と言った。
「地獄とは他人のこと」とは、つまり、他人の視線が自分にキメツケを持ち込んで来、それによって自分の世界が破壊されるというようなことだ。
それは、たとえば冤罪で刑務所に入れられた人などには典型的に当てはまる、自分が無実であることを自分は知っているのだが、他人が犯人だとキメツケてくるので刑務所に入れられるわけだ。
そのような場合、「地獄とは他人のこと」というのは当てはまるが、そうではなくもっと一般的なこと、たとえば仮に他人から「卑怯者」とキメツケられた場合はどうだろう/僕は正直なところ、他人にどういう視線を向けられ、どうキメツケられたとしても、何の痛痒も覚えないのだった、これは僕が特殊なタイプなのかもしれない。

僕は大勢の他者から、「卑怯者」「クズ」「最低で軽蔑すべき」「おぞましい」「キモい」「ウザい」と思われたとして、また露骨にそういう視線を向けられ、ひたすらそのようなキメツケを向けられたとしても、何とも思わないのだ/というか、とうの昔にそういったことには慣れてしまったのだと思う。
僕が小学生のときなどは、教師からひどい扱いをされていたからな……僕は悪友と一緒に、黒板に横付けするという「特別席」に座らされていたのだが、まったくタチの悪いことに、僕に向けてそういった懲罰はまったく無効なのだった、そのときの先生もまあなんと不毛なヒステリーを起こされたことだと思う。
そんな特別席に座らされていれば、衆目からは「ダメな子」「イタい子」であることは一目瞭然で、針のむしろ、のはずなのだが、われながら呆れることに、そういったことには僕は不感症なのだ/そもそも僕には、自意識じたいがあまり存在していないのかもしれない。
「他人の視線が僕の自意識に干渉してくる!」として、僕の側に自意識の母体がイマイチなかったとすれば、そりゃどんな視線を向けられても、効果はイマイチだわな/あのときの担任N先生は、今思えば、当人が自意識の強い人間だったのだと思う、だから「衆目」による懲罰を思いついたのだろうが、そんなことをしているようではどうかな、その後N先生は幸福になったのかな?

けっきょくサルトル自身が「地獄にいた」のだろうか?

僕は、丸の内に勤めていたとき、上司がサイアクで毎日偏執的な小言を食らっていたのだが、それが繰り返される中で同僚女性が僕に、「あんなに怒られて、怖くないの?」と不思議そうに訊いてきたことがある、僕は「へ?」としか反応できなかったが/あくまで僕の私見で結構だが、サルトルにせよ三島由紀夫にせよ、N先生にせよあのときの上司にせよ、瞳の奥に「おびえ」があるように僕には見える、だからこそ僕の側が地獄を感じる筋道は全くない。
サルトルはある形態の「自由」を志向した人だったが、なぜ他者のキメツケ視線が「自由」を阻害するものになるのか、僕には感覚的にわからない、だがこれは僕が特殊なタイプなのかもしれず、世の中には「他者のキメツケ視線で自由が侵害される」と感じる人のほうがずっと多いのかもしれない。

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