☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
<< 「出来る」ようになるには2 | TOP | 「スベる」とセクシャリティの関係2 >>
「スベる」とセクシャリティの関係

「オカマ」というのは、なぜかそれだけで基本的にスベらない。
老人や幼い子供も、あまり露骨に「スベる」ということがない。
「スベる」というと、やはり思春期から大学生、あるいは二十代後半ぐらいまでがピークだ。
つまり「スベる」という現象は、セクシャリティのピークに連関しているということがわかる/本来は、スベらないためには何かをその場で「掴んでいる」必要があるが、掴んでいない場合でも、実はセクシャリティのピークを低減させれば比例的に「スベる」という現象は消えていくのだ。

たとえば男が、中性的な髪型にして中性的な体つきになり中性的な歌声でも発揮すれば、彼は「スベる」ということから縁遠くなっていく/何かを掴んでいるわけではなくても、セクシャリティ低減によってスベらなくなる。
ゲイにしてもそうだし、腐女子にしてもそうだし、コスプレやアイドルイメージの形成についてもそうなのだが、人は自分の様相を肉体的異性愛から遠ざけることで、比例的に「スベる」ということから離れられるようになる(むろん同性愛者のすべてが「スベり回避」でそうなっているわけではない)。
比較すると、たとえぱ昔の尾崎紀世彦さんや中森明菜さんなどを見ると、いかにも露骨に「男」「女」という感じなのだが、これを現代のわれわれがマネしようとすると、致命的に「スベる」のだ/比較すると、やはり百合画像を見て「あら〜」といい、ボーカロイドをいじくったりしているうちは、やはりわれわれは「スベる」ということがない。
現代においては、いわゆるギャルやチャラ男が、肉体的異性愛において開放的に見えるが、それは逆説的で、あれは「肉体的異性愛を開放的にするために、ギャルやチャラ男の装いを必要とする」ということなのだ、落ち着いた言葉と落ち着いた髪型で裸にされるほうが「スベるのが怖くてキツい」から、ギャルはギャルのコマンドを実行しているにすぎない、中身は同じ人間なのだから。

「ハードコア異性純愛」にはスベるので、その代替物が求められてきた。

近年、やたらドヘンタイ化したエロコンテンツが、男女の両方に消費されるようになってきたのも、本質的には単なるヘンタイ化ではない/本質的には、「ハードコア異性純愛」という真っ向勝負にはどうしても自分が「スベる」ので、スベるわけにはいかないから、周辺的な代替物としてのヘンタイ物に逃避してきたというだけにすぎない、これは非難しているのではなくて、それぐらいハードコア異性純愛を掴むのは「大変」だということだ。
僕はこのことについて、おおむね誰も「無理するべきではない」と思っている、何もそんなことを極める必要は誰にもないし、だいいち人は二度三度と続けてスベったらもう人格的に復旧できないものだ/ただ僕自身は、いつでもハードコア異性純愛を引き受けられる、果てしないスケベジジイでありたい、まあおれは生まれてこの方スベったことがないので大丈夫だろう。

正しく見ないとな | comments(0) |
コメント
コメントする










| /PAGES |