☆いい女☆で行こう!

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何が「出会って」いるか

じているものがないと話が成り立たないのがよくわかった。
信じているものの先には、カミサマがあったりなかったりするが、たとえばカネを信じている人がいたとして、その先にたぶんカミサマというのはないと思うが、それでもひとまず彼ら同士で話は成り立つだろう。
人によって、恋あいを信じていたり、冒険を信じていたり、さまざまだ。
そして、インターネットというのは便利だが、この便利を通信遊興に用いると、人はエネルギーを失うのがよくわかった、それはつまりニュースサイトや「まとめサイト」なんか見ないほうがいいということだ/リアルにエネルギーを失うから。

このブログはいいのだ、このブログには僕とあなたしかいないからな、ただの「便利」ということでしかない。
まずいのは、不特定多数からのコメントが乗っかっているようなサイトだ、といってもウェブサイトのほとんどはそれだが/そういったサイトは、ただ「信じているものを失わせ」、「何かを信じるという能力を失わせる」ということにしかはたらかない、だからはっきりいってマイナスにしかならない。
そしておそらく、そのことはウェブサイトやSNSに限ったことではないのだ、「信じているものが明らかでない誰か」の多数と話すことは、マイナスにしかならないのだ、その多数と話せば話すほど、残念ながらエネルギーがマイナスになる。
「信じているもの」がなく、さらには「何かを信じるという能力」そのものをなくすと、もう人とは出会えなくなるし、どう出会ったフリをしても、何の話も物語も成り立たなくなる/「信じるものがない人」は、びっくりするほど、もうどこへも行き先がない、インターネットごときでそんなマイナスを背負うのは馬鹿馬鹿しいな。

人が出会うのではなく、信じるもの(何か)が出会っている。

われわれは漠然と、自分たちを「人」と思っているし、そう思っていることは間違いではなかろうが、その「人」が「出会う」というのは、よくよく考えれば不明瞭な話だ、何をもって「出会う」というのか/「人」という現象を見たとき、それが「出会う」というのは、まったく思いがけないところで「出会う」が発生しているのだ、だから、「信じるものがない」というのは人それぞれの勝手だとしても、それは原理的に「誰かと出会う機能の一切を放棄している」ということになる、このことのアナウンスはこれまで為されてきていない。
ウェブで通信遊興をすることは容易だし、楽しいし、表面上「さまざまな人の意見が聞ける」「情報が得られる」ように見えるが、ぜんぶ大嘘だ、なぜならウェブに接続する代わり、「運命の赤い糸」の機能を全部破却しているのだから、むしろ「ネットワーク」から切断されてしまうことだと認識すべきだ。

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