☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
<< 異性愛氷河期にて2 | TOP | 杞人の博打と強迫障害2 >>
杞人の博打と強迫障害
ょっと珍しい話をするが、誰にでも「不安」や「強迫」がある、誰にでもあるていどはある。
たとえば普段は陽気な人でも、人間ドックを受けたりすると、ふと「悪い結果が出たらどうしよう」と、なぜか不安になって、しばらくブルーになって過ごしてしまうことがある。
それは、合理的に考えると、「検査してもしなくても、あなたの身体は同じでしょ」ということだし、「ブルーになったって検査結果は変わらないじゃん、そんなのよけい身体に悪いよ」ということなのだが、そうはいっても「不安になってしまうのだからしょーがないじゃん」ということが実際に起こる/当たり前だが、あるていど誰だってこのことはあるのだ。
誰にでもあるこのことが、なぜか強烈化してゆき、ダメージやトラブルをもたらすようになったとき、これはあらためて「強迫性障害」とか「不安障害(不安神経症)」と呼ばれるようになる、もちろんそれは心療内科の領分だが、僕はしばしばこのことを、「不思議だなあ」と思うのだった。

不思議というのは、つまり人間は、催眠術や催眠暗示に掛かりうる以上、「根拠ゼロでも、無限に不安・強迫を覚えられる」ということだ、われわれが万全と信じている「現実味」みたいなものは、根っこでたいへん危ういものだと改めて考えさせられる。
「杞憂」「杞人の憂い」という言葉がある/これは古代の、杞の国の人が、「空が落ちてくるううう、そんな気がするううう、うわああああ」と不安になり、何がどうなったかというと、空は落ちてきませんでした、おつかれさまでした、でもしょうがないよね、という話から成り立っている、
こうした強迫障害や不安障害に対しては、○○療法というのがいくつか確立されているそうだが、それはちゃんとしたものであるはずだから、ここで僕から提案できる療法なんかもちろんない/こんなことに革命的なideaなんか出せるシロウトはいないだろう、まして僕の領分なんてオモシロ話というジャンルなのだから門外漢もいいところだ。
ただ僕は、80%の確率にも100%賭けるし、0.1%の確率にも100%賭けるようにしている、ということを言いたい、100%にしないと「賭け」にならないからだ/そして「賭け」ということは、ハズれるかもしれんということでもある、もちろん賭けにはハズれたくないのが人情だが、さすがに賭けにハズれたときの己のヘボさぐらい自分で引き受けろよと、僕のような者でも思うのだった。

杞人は、間違っていたのではなく、賭けに負けた。

彼が心配したようには、空は落ちてこなかったのだが、「わたしが間違っていました」とか甘いことヌカすんじゃなく、「賭けに負けたんだろ?」と僕は思う/なぜなら、空が落ちてくる確率が0%とは誰も言えないからだ、やはり空は落ちてくるのかも知れないじゃないか、それをお前、「間違っていました」なんて、まるで「なかったことにする」みたいな口ぶりはやめろよと思う、お前は病人だったのじゃないし、気の迷いがあったのでもなかった、ただハズレに賭けてしまった「ヘボ」だったんだろ、と僕は言いたい。
僕はここにこんな話を書き示しているが、これがスベるかウケるか、僕は賭けるしかないのだ、もしこれがスベったとしたら、そのとき僕は「間違っていた」わけでもないし、「気の迷い」があったのでもない、ただこれがウケると信じて賭けたことが「ヘボ」だったんだよ/このことについて、僕には何の不安もない、安心もない、じゃあ何があるかといえば、スリルがある、そりゃ賭けているんだからスリルはある、スリルがなきゃ眠たくてしょうがないだろう。
視点変えてこ | comments(0) |
コメント
コメントする










| /PAGES |