☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
<< 杞人の博打と強迫障害 | TOP | Enfance finie >>
杞人の博打と強迫障害2

えば、僕などは、女の子にメールの一通を送るときでさえ、真剣に祈っている/賭けがあるのだから真剣に祈らざるを得ない。
それは何の祈りかといえば、「どうか、向こうにとっていいタイミングで届きますように」「タイミング的に、うまく笑ってくれるように届きますように」、また内容によっては、「タイミング的に、あたかかみが起こりますように」と祈っている。
そりゃ何しろ、メールなんて、相手の状況がわからないところに電子テキストで届くのだから、タイミングによってはため息をつかれるかもしれないし、大ヘイトになるかもしれないし、またタイミングによっては、あははははと笑ってもらえるかもしれない。
いつでもそういう賭けがあって、僕は漠然と祈るのではない、いつも「奇跡的にうまくいけ!」と意図的に狙って送信している/もしそれで、タイミングが悪いときに届いたとしたら、それはタイミングが悪かったのじゃない、おれが悪かったのだ、タイミングのせいにするというような邪法をしたらその後ずっと呪われるだろう。

そんな必死に祈ってまで、メールなんかしなきゃいいだろという考え方もあるが、もしそこに祈りが必要ないなら、それこそ僕はメールなんか送らないだろう/送るメールに祈りが必要なかったとしたら、そりゃそこに何も書かれていないからだ、さすがにそんなものを送りつけるわけにはいかないだろう、向こうだって読む手間があるんだから。
思えば僕は、一事が万事、ぜんぶそれだな、「空気を読む」ということを完全放棄して、「奇跡を読む」ということにフォオオオと吠えているのだ、まったくアホの極みだが、見えもしねータイミングを最上で掴もうとしたら、そりゃもうフォオオオぐらいしか方法がないのだ/だいたい、その身のアホ度と叡智度が両方同時にピークを得ていないとタイミングなんか外れるアンド外れるのだ。
そう考えると、そもそも「不安」というのは、確認なんかできようがないことを、確認したがっていることから生じているのではないだろうか/もちろん相手にカードの開示を求めてもいいが、お互いに手の内を開示しながら進めるポーカーには、安心だけがあって何のゲーム性もない、そのオープン・ポーカーを続けているプレイヤーはもはやただの死人だ。
どれだけ確認したつもりでも、「あれ? 家の鍵って閉めたっけ?」と、不安になることはあるものだ、そのとき「戻って確かめる」か、「いいや、いける」と判断するかは、やっぱり賭けでしかない、その場で確かめることはできない以上しょうがない/それと同じで、けっきょくすべてのことは「確認できようがない」のだ、だから賭けになる、イチかバチかの賭けじゃなく、理を尽くして「こっちだ」と賭けることになる、だから必要な矜持はやはり、「わたしが賭けに負けるようなヘボであってたまるか」だ。

賭けの結果だけは厳正に。

「賭け」ということになると、ゴネる人が出てくるのだ、賭けには常に「裏目」というリスクがあるのだが、この裏目が出たときにゴネてごまかそうとする人がいる、これは厳正なる「賭け」を侮辱して穢す行為であって許されない/そりゃ「そんなつもりじゃなかったんだよ」と女の子に言いたくなる機会はこれまで二千万回ぐらいあった、だがしょうがないのだ、裏目というのはそういうものだ、裏目リスクを回避できる賭けは存在しない。
「絶対○○って思われているよ〜」と、それでよろしい、本当にその目にBETしたんだな、そうBETしたからには、引き返せない、裏目が出たときはしょうがない、自分がナイスかヘボかのどちらかになるが、ナイスにだけなりたくてヘボが出たらごまかそうとするようでは、そりゃ次第に病気じみてきて当たり前となる/まともな大人が傲ったり自己卑下したりしないのは、そんなことしたら次の賭けの運気が下がるのを知っているからだよ、アガったりサガったりしていられる悠長な余地は賭けにはないのだ。

視点変えてこ | comments(0) |
コメント
コメントする










| /PAGES |