☆いい女☆で行こう!

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パーティ報告81(2)

前、軸足と浮き足がリーダーシップとパートナーシップどうたらという、難解すぎて誰の役に立つんだよという話をしたのだが(→これ)、以外にこの話がウケがよくて、ひとしきり盛り上がった。
まじめにいうと、たとえばバレエや社交ダンスのようなものは、基本的に貴族のするものであって、貴族のするものであるから、そのモチーフは愛であったり恋であったり、神話的なものであったりする。
一方で、ストリート系のダンスというのは、貴族のするそれとは違い、もっと「フラストレーション」があるのだ、むしろフラストレーションが根源だと言ってもいい、ストリートで踊るからストリートダンスなのではなくて、「おれたちにゃダンスフロアなんて立派なものは与えられない」というフラストレーションがストリートダンスだ。
僕はこのところ、「満足」ということについて話している、よって貴族のダンスは、貴族の憂鬱と倦怠がダンスの中でどう満足に昇華されるかという問題になり、ストリートのダンスは、フラストレーションの不平と炎がダンスの中でどう満足に昇華されるかという問題になる。

「シャウトの中に満足が現出するなら、それはロック音楽になりうるが、不満で叫んでいるだけなら、そりゃモーレツな夫婦喧嘩と同じになってしまうな」と僕は話した。
「意味のあることをしないといけない」と僕は話した、「ダンサーが、あるいはラッパーが、空間をキックし、何かを言い立てることの中に、フラストレーションの昇華を見る、この瞬間だけ『おれっちは満足なんだ』というふうにさ、だから、それは若い人たちにとって、『おれたちの代弁をしてくれている』と感じるのさ、だからそれを見に行く・聴きに行くというのは意味のあることになる」。
その先は、こまごま話さなかったが、われわれは「満足」している瞬間のみ、そこを「魂の還る場所」とすることができる、なぜなら「満足」の中にだけ、われわれは永遠に住めるからだ。
われわれは、別にダンサーではなかろうが、それぞれに貴族の憂鬱と倦怠か、もしくはストリートのフラストレーションを抱えている、この中でどのようにして「魂の還る場所」を作れるだろうか? われわれが「そこに永遠に住んでもかまわない」と思えるような場所をだ。

満足がないなら、反省会はしないほうがいい。

満足なしに反省をすると、その反省は必ず「否定」にしかならないからだ、そして否定というのはダメなことのダメさを反芻するだけになるので、ダメージを負うだけであまり意味が無い。
物事のレベルでいうと、たとえば「ハンバーガー屋」はレベルが低いだろう、だがビッグマックで満足するか反省するかは人の選択であって、反省しながらビッグマックを食う奴は、消化にも悪いだろうし、次第に闇に落ちていくことになる。

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