☆いい女☆で行こう!

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パーティ報告81(5)
五時になるとCLIMBが閉店になるので、その後はいつも渋谷のファミレスに行く(みんな腹が減っているのだ)。
そして僕はいつも、そこで朝五時半からステーキ肉を食うのだが、肉食によってパーティで使い切った霊力を恢復すると、たいてい新しい身体状態が得られる、それは成長というより何かが「進んでいる」という現象だ。
肉の霊化が前進して、また何か新しい奴になるということだ、結果的に毎回そうなっている、今回は「横隔膜から直接音が出る」というナゾの現象が獲得された/本当に、胴体がオーディオスピーカーみたいになり、それがあまりに奇異なので、みんなで腹を抱えて笑った。
忘れないようにメモしておくと、解剖学的に正確な位置の横隔膜が、「声帯と接続している」ということが得られたのだ、僕は自分自身がスピーカーになり、その音を自分でさえ「聴いている」という、聴く側の感覚になった、声にせよ音にせよ音楽にせよ、それは僕の内側から出るものではない、横隔膜の周辺外部から僕の内側に入力されるものだ、わけのわからん話だがこのようにメモしておくしか実際ない。

時間を実数単位に取ったとき、距離は虚数単位ということを前提にして、僕は音楽を聴いたとき、「ゼロ距離」で聴いているということが判明した、ゼロ距離(正しくは虚距離で、距離自体が観測しえない)で聴いたとき、それは肉に直接干渉していて、肉に宿った霊となる/もはや説明する気もないが、正しく表記するならこう書いておくしかない。
ここに詳しくは書けないが、僕はこのところ、「みんな『記憶』はするのに、肉に(霊的に)宿らない」という現象に、ナゾを見て問題視している、人はけっきょく記憶したものなんか使えないし、表面上使えたとしてもそれは「自分のものではない」のだ/このナゾを解く手かがりに、僕自身がゼロ距離(虚距離)で体験しているという発見が得られたのは有益だ。
ある人が、肉に霊が宿らないということについて、「気づきました。上からエラソーに取捨選択しています。いいものがあったら宿らせようなどと考えていて、それは意識で選別しているものですから、ワンクッションあって、そのワンクッションに阻害され、もう肉には宿らないのです」とレポートしてくれた、このレポートは正確でいいところを突いていると思う。
つまり、そのレベルでの「吸収」、肉に霊が宿るというレベルの吸収と獲得は、「いいものであれ悪いものであれ」という次元でしか吸収できないということだ、好き嫌いで食べ分けることが許されない世界で、毒にさえ打ち克つことが必要な世界だが、これはちょっとシリアスな次元になるな、まあしかしこういうときこそ単純な明るさが必要なのだった、なんであれ上手くいきゃあ勝ちなのよ。

物語があるということは、距離がないということ。

「物語があるということは、距離がないということ」、この一文は、金言と呼んでよいだけの叡智に満ちている、この点に関してだけは、僕は誰よりも上手くやれているようだ/距離世界は時間だけが流れてゆき、物語世界は永遠にみたされているが、これは割と当たり前のことであって、別に感動的なことではない、僕がよく言う「世界」が得られるとき、「わたし」と「世界」のあいだに距離はない。
「蓋(ふた)」がされるので、そんなに簡単に霊は宿らないな/煩悩の炎、因果の業火で焼かれているから入らない/距離(空間)は世界の実在ではなくて「認識」だ/われわれが「識」の業に盛(さか)る前、つまり五歳未満ぐらいまで、誰しも「世界」と「わたし」に距離はなかった、だから霊的な存在性を持ち得た/「わたし」の「それ」は「わたしの一部」でなくてはならない、一ページでも抜けてよい小説はない。
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