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ゲジゲジ虫身分再興5(このブログには言葉がある)

いうわけで、「呪い」は実際にあるのだ。
実際にある、といっても、僕はそれを、ときに覗き見することしかできない/なぜなら「呪い」は、身分の高い人のあいだでやりとりされるものだからだ。
僕のように、世界の底にへばりついているような身分のものは、身分の低さのせいで、根本的に「呪い」に触れることができない、だから上位者たちの「呪い」をときに見物して、「へええ」と感心するしかできない、つまり僕には「そんな高度な話はわからない」のだ。
誰しも「言語」を与えられて暮らしているが、身分の高い人はどうやら言語を「呪い」として用いるらしく、僕のような身分の低い者は言語を「言葉」としてしか用いることができない、ワークショップのときも僕が一人でハァハァ息を切らしているのだが、それも僕の身分が低いからだ(もう何十年もそうして生きてきた)。

このブログには、「言葉」があるのだが、それはつまり、僕のように身分が世界の底に落ちている奴には、もう「言葉しかない」からなのだ、世界の底にへばりついてしまった身分の者が、唯一掴めるのがその「フィクション」だと捉えていい。
身分の高低において、実は「僕から見てみんなのやっていることがわからない」のであって、「みんなから見て僕のやっていることがわからない」のではない、僕のやっていることは「わからない」ではなくて「やりたくない」のだ、なぜならそれは極めて下賤の身分に現れてくる象(かたち)だから。
ここしばらくまでの期間、こうした「言葉」や「フィクション」を現成せしめる者のほうが、身分が高いのかもしれないという見方もしてきたのだが、その見方には実に希望にあふれる感触があったものの、けっきょく実地のレベルにおいては破綻するしかなかった、向上心の先にフィクションの皮膜はない以上、フィクションの皮膜は下側にある、だから僕は「上位者」たりえず、積極的に「受刑者」の身分にならざるをえない、僕に対する処刑を前提にしか「許す」ということは成り立たないだろう。
僕は「言葉」でしか話せないので、「言葉」で話すのだが、そうすると呪いの力が抑えられていくので、人はどんどん動けなくなっていく、あるいは凍えて震え始める、つまり、呪いで動いている身分の高い人に対する、拮抗阻害剤のようにはたらいてしまうのだ、この繰り返しで僕は「受刑者」の度合いを深めていくことになってしまう/この身分の低い者を処刑するとき、身分の高い人は息を吹き返し活躍を得るだろう、だからこの処刑はどこかのタイミングで必ず現成せざるをえない(だとしたら初めから儀式的に「処刑」してから始めたほうがいいのではないかとも考える、果たして成立するかどうか)。

僕は「言葉がある人」ではなく、「言葉しかないヒマな奴」だ。

このブログには言葉があって、そりゃだからこそ何年もずっと読んでくれている人がいるのだろうが、これは身分の最下層に現れてくる象だから、「身内」に並べることは許されないのだ、これを「身内」に並べてしまうと、身内全体の身分が最下層に落ちてしまうから/このことは単純に、「呪いの人が偉い人」「言葉の人が下賤の人」と正しく捉え直すだけで何の矛盾もなく理解される、あなたが今目の前にしているものはゲジゲジ虫身分の実物の現れだ。
このブログには「言葉」があるが、ここにいるのは「言葉しかないヒマな虫」「フィクションしかないヒマな虫」「物語しかないヒマな虫」だ、その「ヒマな虫」の定義で、すべては整合して、すべてがストレスなく解決すると思う、ヒマな虫というのは靴の裏に踏んづけて「まあいいじゃん」って感じのものだよ、それは生まれながら上位者と下位者なのだからしょうがない(虫側もそれで別に不満はない)。

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