☆いい女☆で行こう!

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二日間のワークショップを終えて
日間のワークショップを終えて、僕自身は、改めて胴体各所(点)の連結から、腕・手先までの連結がよくなった、特にこれまで甘かった「肩」の点がちょっとはマシになったと思う、このことは「肩も『伸びる』ことでつながる」とはっきり確認できたことが有為だったと思う。
他の参加者の方たちはどうだったのかというと、正直知らない、別に誰も何も言わないし、そんなことは知ったこっちゃないというのが当方のスタイルだ(無責任)、全力で教えるがその結果がどうなるかは本人次第だろう、僕はあくまで学門をやっているのであって、他人のことをどうこうしているのではない/全力で教えるかどうかは僕の側の問題だが、全力で学ぶかどうかは僕の側の問題ではない。
「全身をつないで膝だけ抜きまーす」あたりのところまでくると、たちまち「できねー」という実態が出てくる、とはいえ、誰だって膝の構造は同じなのだから、同じように操作できないのはおかしい。
体重が乗っているほうの膝をポーンと抜くというのは、感覚的に「不可能」に思える、だが実際に僕が目の前でポンポンやるので、理論的には不可能ではないのだということがわかる/じゃあなぜ「不可能」に思えるかというと、そう思い込んでいるからだ、「膝ってこういうものですよ、カッチカチのもんですよ」と、膝が思い込んでいるので、あとはもう本人がどう信じなおそうとしても、膝の側が断固として拒否するのだった、「膝ってこういうものですよ、カッチカチのもんですよ」と。

なぜそのように、身体のことごとくに思い込みが張り付くかというと、第一には「クセ」、第二には「自意識」があるのだが、僕はその奥に第三の、「呪い」があると捉えている。
ふつう、この第三段階のところまではアプローチしない、つまり身体からクセを抜いて自意識を抜くというところまでは、どこの身体操作塾でもやるだろうが、身体からさらに呪いを抜いて、身体に「言葉」「フィクション」「物語」を生じさせるということは、ふつうやらない、やらないというか、それはすでに身体操作の領域をはみ出ているのでジャンル違いになるだろう。
思い込みの第一たる「クセ」は、障害、という感じのもので、続く第二の「自意識」は、執着、という感じのものになる、ここまではまともだが、第三の「呪い」は、もっと暴力的なものなのだ、血と僻みと、攻撃と狂気、処刑と虐殺が入っている、だからここまではふつうやらない、身体が言葉と物語を宿すということについては諦めムードなのだ/だからたまに、身体操作に関してはバツグンなのに、身体に入っている「呪い」だけは濃厚に残ったままで、「身体の動作は完璧なのに目と顔は呪い顔ですな」という人もいる、それは一部の業界では一種の名物みたいなものとして存在する(なまじ技術的には優秀なのでどうしようもないという側面があったりする)。
「呪い」は「思い込み」を利用するものだが、その原理は、ざっくり言えば催眠術と変わらない、膝が抜けないのは「体重が乗っているのでカッチカチで〜す」という催眠に掛かっているからだ、その催眠が解けたら抜くのはカンタンなものだ/ただしこの催眠が「呪い」というレベルで掛かっている部分については、そこには業(カルマ)の火が封入されているので、そこまで解放して解決するというのは常識の範囲においては「不可能」となる、もちろんそのレベルまで解放されたとき初めて、身体は「言葉」になるのでもある(いわゆる「身体言語」のことではなくて、身体が「言葉」になるということ)。

何を言っているか「わかる」のが言語(呪い)で、何を言っているか「わからん」のが言葉(物語)だ。

いわば呪い(カルマ)のレベルまで思い込みが取り外されたとき、人は初めて「ソウル」に触れることになる、おそらく言霊(ことだま)というのとは違うもので(たぶん多くの人が「言霊」と言っているのはのろいとまじないのことだ)/たぶん理解されようのないことだが、「言葉」といったとき、言語の成分が「言」であって、その土台になるソウルが「葉」なのだ、僕が人に届けようとするのはそちら「葉」のほうであって、いわば「何が書いてあるかわからん葉書がドシドシ届く」ということだ、なるべく最上級のハガキにクソみたいな意味不明の文言が書いてあるということ、だからコピーしたら値打ちがゼロになる、お前のハガキの材質はどんなだよということであって、言語の意味は言葉の価値から切り離されている。
ハガキ(ソウル)は、純度が高いほど高級品だ、そしてデカいハガキのほうが値打ちがあるだろう、たとえば「ビリー・ジーン」という言葉に言語としての意味があるか? だが「ビリー・ジーン」は高純度でデカかった/ハガキ(ソウル)に、血と僻みと思い込みの成分が混入するほど、ハガキ(ソウル)の純度は低くなる、この混入物を「切る」ことができるかという学門を、僕はえんえんしたのだった。
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