☆いい女☆で行こう!

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二日間のワークショップを終えて2(言葉と呪いの相克)
を抜いたり肩を抜いたりは、身体のことなので、身体がいったんそうなってしまえば、あとは自覚がなくても適宜勝手にそう動く/僕などは最近、歩いていて地面の出っ張りに蹴つまづいたとき、膝がポンと抜けて衝撃を受け流し、再び着地しなおすのを自分で感じ、それがなめらかすぎて「気持ち悪っ」と思ったほどだ。
そして、逆に考えれば、身体がそうして「つながり」「切れ(抜け)」を適宜勝手に使うということは、その逆、力みやクセ、こわばりや執着も、身体は勝手に使っているということだ、自覚のあるなしはまったく関係がない。
そして、もし身体のレベルで「呪い」が入っているのならば、身体は勝手に、その「呪い」も使っているということになる、僕が何の自覚もなく「言葉」を適宜使っているように、そうでない人は何の自覚もなく「呪い」を適宜使っていることになるはずだ。
僕はこのことを、問題視しているのではなく、学門として発見(discover)できたと思っている、ずっと不思議だったのだ、僕が言葉――あるいは、言語ではなくても「言葉質」のもの――を人に向けると、人の全身がひゅっと停止して閉じていくという現象を目撃してきた、それは「言葉と呪いの相克」だったのだと今になってわかる、停止して封じ込められた呪いは、そのとき表面上からは消え失せるが、その内部で力をたくわえており、決定的なチャンスを得たときに捲土重来で噴き出してくる。

まあ、「そういうものか」と、合点がいったのだった、何にせよそれは身分の高い人の話であって、けっきょく僕が口出しする筋合いのものではない。
これまで、もう何度か数えられないが、タクシーの運転手さんが、「○○ですねぇ〜」と話しかけてくるのに、「ホンマですねえ、△△が××でねえ」と僕は返すのだが、そのとたんタクシーの運転手さんは、ひゅっと停止して閉じていくのだ、もう何千回とこの現象を見てきた、これを「言葉と呪いの相克」と名付けることで、積年の疑問が解消される。
「言葉と呪いの相克」だ/ありがたいことなのだが、これは、外見上が同じ人間に見えるため、向こうが僕のことを、いちおうまともな人間と扱ってくれているからこそ、発生する余計な相克なのだ、僕が見た目にもはっきりとわかるゲジゲジ虫だったらこの相克はいちいち現れてこない、だから本当は僕も、もっと奇抜な格好でもしたほうがいいのかもしれない。
すべてを通して、「まあいいか」という感じに行き着く、梅雨の合間に今日の陽射しはうららかだ、空にヘリコプターが飛んでいる、僕には身分の高い人のむつかしいことはわからない、今日も何かを見上げる虫として生きるが、けっきょく「よくわからない」のだ、陽射しとかヘリコプターとかしかわからないのだ。

あなたの呪いが僕には届かないぶん、僕の言葉はあなたには届かない。

まさに、幸か不幸かということになるが、僕には一ミリでも上の身分のことはわからないのだ、身分というのはそれぐらい峻厳なものなのかもしれない/これまで何度も、まともな人間の身分の真似事をさせてもらってきたが、まあそのたびにヒドイ目に遭わされて、その上けっきょく何も身にならないのだ、呪いが身につかないといっていい、もちろんその気になれば身につくのだろうが、どうしても根本的にその気になれない、それは身分の高い人がフィクションや言葉に「その気になれない」のと同じで、僕だってノンフィクションや呪いに「その気になれない」。
そういえば僕は、インドに行ったとき、乞食の子供をガンジス川に放り込んでキャッキャと遊んでいたものな、どんだけ身分が低いんだよ、まあしょうがない/この身分は逆転しないので、まあなんというか、やはり「まあいいか」となるのだった、呪いが届かないぶんシリアスになる能力がそもそも与えられていないのかもしれない、梅雨の合間にこの陽射しだと、身分差よありがとうと逆に僕は言いたくなる。
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