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二日間のワークショップを終えて4「身につけるコツ」

事を身につけるにはコツがある/実際、何でも身につけていってしまうヤツと、何をしてもまったく身につかないヤツとに分かれるのは、誰しも経験的に知っていることだ。
物事には、何でも「入門編」というのがあるのだが、ここが肝要だ、何をやっても身につかない人は、まずその「門に入る」ということが感覚的にないのだ、だからただの「習い事好き」になってしまう(習い事好きが悪いわけではない)。
仮に、「○○先生の収納術!」みたいなものがあったとすると、そんなものには入門もヘッタクレもない、「こうして収納しておくと、あとで取り出しやすいんですよ」「へー、なるほど」みたいなことは、ただの"オリエンテーション"でしかない/この「オリエンテーション」と、「身につく」ということの区別がついていない人がけっこういるのだ、「書類は七階に回すの、そんでコピーをロジに回すの」「はい」と教わったということは、やはりオリエンテーションであって、「身につく」ということではないのだが、これが「身についた」だと思っている人が少なからずいる。
オリエンテーションが不要ということではなく、オリエンテーションというのは概要のガイドであって、人はそのオリエンテーションを見て「入門しようかな、どうしようかな」と考えるのだ、それなのにオリエンテーションの時点で「わかった!」となっている人は、残念ながら知性が未発達すぎる。

肝要なのは「入門」であって、そのことさえわかっていればいいのだ、あとは別にいきなり中級にトライしたり、上級の真似事に挑戦してみてもかまわない、入門してしまえば後は何でも同じだ。
ただ、「入門」という感覚がない人は、永遠に致命的にダメなのだ、なぜかというと、<<門の外のものを持ち込んでくる>>からだ、これでは未来永劫一ミリも身につかない、門の内外がわかっていないので、この人は永遠に「門外漢」のまま他の人に迷惑をかけ続けてしまう。
たとえば僕が「入門編」として、「抜けて動く」ということを教えたとする、そのとき、「入門」という感覚があれば、門の内側では「抜けて動く」がすべてになるのだが、「入門」の感覚がない人は、ただの「やってみる」になるのだ、なぜなら門の外では「抜けて動く」も「力で蹴って動く」も個人の自由だからだ/つまりこの人は、「抜けて動く必要などない」のままになる、脳みその奥がそう判断しているので、この人はどれだけ時間をかけても何一つ身につかない。
「入門」の感覚がない人に、僕が「抜けて動きます」と説明すると、彼は必ず「へえー、抜けて動くんですか。やってみます」という反応になる、つまりどこまでもオリエンテーションになる/別に本当に入門する必要はないのだ、入門という「感覚」なのだ、<<入門したら門外の動きと言葉はしてはならない>>のに、そのことがどうしてもわからないのでワヤクチャになる。

身につかない人は、必ず、門の外でも内でも同じ顔・同じ声だ。

たとえば観光客が、空手の道場を観光したとして、「押忍!」とはならないだろう、観光客なのだから/「入門」の感覚がない人は、この観光客状態でオリエンテーションを聞いて「へえー」となりつづけるだけなので、本当に何も身につかない、そりゃ入門していないのだから身につくわけはないのだが、本人は観光気分でオリエンテーションにわくわくしているから幸せそうだったりする(そして本人は、「幸せだからこれが正しい」と思うようだ、それはアカン)。
今はインターネットや動画サイトが発達しているから、自宅にいながら色んな「入門編」をつまみ食いできる、ただし「門外」でつまみぐいしているだけなので、結果的に何も身につかないだろう(多くの人が経験的に実感しているはずだ)、それでけっきょく、自宅の「門」にしか入らないから、あまり意味のない親の言いつけしか身につかないことになる/冗談でなく、多くの人はすべての「入門編」が身につかず、ママの言いつけだけで生きているということが多いものだ。

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