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「呪いの人」ができあがる、わかりやすい例

曜ロードショーで「天空の城ラピュタ」が放映されると、ツイッターで「バルス!!」が投稿され、サーバーが落ちるという名物現象がある。
なぜこのようなことが起こるかというと、シータとパズーが「言葉で話す」からだ。
「天空の城ラピュタ」は、作品とか宮崎駿とかいう次元でなく、物語(およびその世界)として宝物なので、人々の体内にある「呪い」はこれを許さないのだ。
だからその物語と世界を"台無し"にするため、ツイッターに「バルス!!」と投稿する、これは「衝動」があるのであって、偶発的に起こることではないのだ、台無しにしないと自分が死ぬので、台無しに向けて必死にトリガーを引くのだ/これによって「天空の城ラピュタ」という物語と世界は呪われて「宝物」ではなくなった、こうしてひとつの宝物を「台無し」にした人々は、心中に「大金星」の感覚を得ているはずで、かつ当人としては、<<別に何もしていないつもり>>であるはずだ。

僕が十歳のころ、初めて金曜ロードショーで「天空の城ラピュタ」を観たときは、震えて物も言えなかった。
その後、どうしてももう一度、シータとパズーに会いたくて、当時すでにレンタルビデオ屋はあったのだが、家族とレンタルビデオ屋に行くたびに、なぜかどうしても言い出せなくて、何年間も、レンタルビデオ屋に行くたびに震え、どうすることもできず立ち尽くしていたように記憶している。
その後、なんとかテレビ放映されたものを録画することができたら、その録画を、誇張ではなく何百回も観た、当時は映像に一言一句間違わずセリフをかぶせられたほどだ(今でもだいたいできるが)、とにかくそれぐらい宝物だった/ちなみに僕は、空と雲を見上げるたび、この世界に天空の城が「ない」ということにどうしても耐えられず、「じゃあ自分で作ればいい」と考え、十歳のときに百科事典の「物質とエネルギー」という分厚い一冊を読破した、当時からすでに三相交流に目をつけていて、「でも現在の技術ではけっきょく人工衛星になってしまう、それは違う」というのが悩みだった。
それが今は、「バルス祭り」のコンテンツでしかなく、何ならもうその祭りも飽きたのだろう、飽きたのは「天空の城ラピュタ」がもう宝物ではなくなってしまったからだ……そうしてかつての宝物は「消費」されていった、典型的に、<<別に何もしていないつもり>>の人たちによって/こうして、「宝物」「言葉」「言葉を持つ者」「言葉で話す者」に相対したとき、爆発的な「台無し行動」の衝動を起こすメカニズムが「呪い」だ。

「天空の城ラピュタ」という語は、すでに「物語の言葉」ではなくなり、「コンテンツの呼称」でしかなくなった。

「バルス祭り」の勢力にとっては、シータもパズーも、ただの「キャラクター」だ、彼らにとって映画「タイタニック」の主人公ジャック・ドーソンも、ジャック・ドーソンではなく「レオ様」に見えている、彼らにとって「バルス」は滅びの言葉ではなくネタの言葉だ/こうして「宝物」を呪いによって踏み壊してきた者の身には、その行いがきっちりカルマとなって刻まれている。
このようにして、<<別に何もしていないつもり>>の人々は、当然の報いとして呪いの組に取り込まれてゆき、ふと気づいたときには、もうどのように工夫しても自分から「言葉」が出てこない状態になっているのだ、だからこそ、ますます他人の「宝物」を絶妙のタイミングで踏み砕く衝動に取り憑かれ、そのことから抜け出せない者になっていく、「言葉」を失った今、「呪い」の支配下にあらざるをえない/「言葉で話してみろ」と単純に正鵠を射られたら、ますます呪いの力に転じてその場をやりすごそうとするだろう、それは言葉を失った者にとって危急を極める死活問題だからだ。

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