☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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人が「言葉」になるということ

の手前の、佳い風の日々だ、昨夜も今朝もつい散歩に出てしまった。
そして、確信するというか、学門的にこれだね、「どうやって生身の人間が言葉になるか」なのだ、人が「言葉」になるということは、「呪いを離れて言葉になる」ということ/これは身分の高い人には到達できない領域だ。
こうして学門的にクリアになってしまえば、もう落ち着いてしまうな、あとはじっくりやっていくしかない、正しい学門はビターッとした成功結果を生み出すし、正しいがゆえにビターッとした叛徒(アンチ勢)を生み出すだろう。
ワークショップの名前も、「世界のボトムを見せたりまっせ教室」に改め、一から出直しとなった、一から出直すというのは手ぶらで気楽でいい、とても身軽だ。

よくよく考え……るまでもなく、このブログだって、あるいは本サイトのほうだって、No. 001のコラムがいつかあったわけで、記事にだって第一号の記事があったわけだ。
そうして、「No. 000」という虚無から、突然「No. 001」というコラムが生じるためには、身分の低さが極限を超えていなくてはならないのだ、ゼロから唐突に「言葉」が出現する身分/この領域に接続していないかぎり、すべての営みは必ずどこかに土台を借りた業務的なものになってしまう(それが悪いというわけでは決してない)。
なぜ、文学者()である僕が、身体操作のワークショップなんかやるハメになったか、ここにきてようやく理由というか、構造が接続した、「言葉」なのだ、身体操作を教える人ならいくらでもハイレベルな人がいるし、いわゆる「身体言語」のやり方を教える人はいくらでもいるが、そうではなく「言葉」に到達させるとなると、そんな人はなかなか見当たらないのだ/それは、そういったことの先生たちは、ごくまともな人たちであって、僕のように身分が地の底を這っていたりしないからだ。
よく、「枠に嵌まらない考え方」と言われるが、そう言い出すと、「枠」という概念がすでにひとつの「枠」なので、枠から脱出できていない、そうではなく、時間軸上「枠」がまだ形成されない領域に住むのだ/自分が「言葉」になるということは、「自分が言葉を実行する」ということではなくて、「自分の実行が言葉になる」ということだ、そこには生まれたてホヤホヤの言葉が現成することになる(まあそんなこと言われても何のこっちゃわからんわい)。

6月27日という世界はまだないので、われわれは6月27日を生きられない。

そりゃまだ午前中だからな/先に6月27日という世界があるのではなく、自分の実行が、6月27日という世界になる(可能性がある)ということだ、このことを正しく取れば、「6月27日」という言葉が得られる可能性があるが、誤って先に「6月27日」なるものが存在するのだと捉えると、「6月27日」という語は言葉でなく呪いになってしまう。
たとえばこのブログの名前は「いい女で行こう」だし、本サイトの名前は「Quali, 恋愛エンターテイメント」だが、先にその言葉があったわけじゃない、僕が自分を実行して、自分の実行を言葉に現成しただけだ、たぶん僕のように根こそぎ身分の低い者は、言葉や世界を先に与えてもらえるという期待が初めからないのだろう、まあそれだけ下賤の身を生きてきた自覚はある/このことを、直接身体的にやるというぶっとびなことをワークショップでは教えるのだが(しかもメソッドまであるので草不可避)、ふつう能力どうこうでなく、「身分をそこまで落とせねーよ」という点で無理だ、だからほとんどただの見世物になる予感がするが、まあそんなことは気にしていてもしょうがないのであーる(無責任)。

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