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呪いが「必要」とされているということ

来は、こんな手短に話してよいことではないが、さしあたりクイックに、必要分だけお伝えしておく。
人間は、誰しも言語を持っているのだが、その言語が「言葉」になるか「呪い」になるかがあって、そこに「言葉 vs 呪い」の構造が形成される、とお話ししてきている。
こう聞くと、単純に「言葉」がアタリで、「呪い」がハズレという感じがするし、それはまったくそのとおりなのだが、ことはそう単純ではなく、逆に「呪い」は必要とされていて、「呪い」なしにはやっていけないということがあるのだ、あるいは呪いなしでは「さらにキケンだ」ということがあるので、その点については「呪い」を正当に評価しなくてはならない。
「呪い」というのは、クセや意識のさらに奥、催眠術なんかよりずっと奥の、「思い込み」の根源だ、おおむね「血と僻み」によってその「思い込み」を形成するのが呪いだが、果たしてわれわれは、それら一切の「思い込み」をなしにして、まともに生きていけるのかという問題があるのだ、だから現実的には、呪いは必要か不必要かと問われると、「ぜったい必要じゃん!」と答えざるをえない現実がある。

かいつまんで言うと、そりゃ確かに、「呪い」から解き放たれて、思い込みの根源がなくなり、そのまま「言葉」にズバーッと接続できりゃ、それがベストではある、だが必ずしも「そうなるとは限らない」のだ/「呪い」から解き放たれて、思い込みの根源がなくなり、そのまま見当外れな「XXX」にズバーッと接続してしまうケースもあるのだ、だからキケンだ、実は「呪い」はこのキケンに対する安全装置としてはたらいている。
たとえばこの世間には、「神のお告げを聞いた」とか、「わたしは神だ」とか、「○○の生まれ変わりである」とか、「解脱に至った」「わたしは支配者だ」「わたしの言うとおりにするべきである」とか、そう思い込んでアチャチャになってしまった人が少なからずいる、これはひとつの典型例で、こういう人は確かに「呪い」から解き放たれたのではあるのだ、しかし、呪いを解いた後、まともなものには接続できなかったということになる/堅牢な学門の構築なしに「呪い」だけ解除すると、たいていこういうパターンになるのだ、学門がないのでアチャチャなものと接続してしまう。
また、別の典型例としては、「呪い」から解き放たれたぶん、際限なく「オバケ」や「霊」を見るようになったとか、何かに好き放題「憑かれる」ようになったとかいうパターンがある、これも、やはり堅牢な学門の構築がないままに、「呪い」だけを解除したから、その後まともでないものに接続してしまった結果だ/だから、ブラック企業に勤めながらオバケを見るという人はいないはずだ、ブラック企業の強力な呪い(思い込み形成)に掛かれば、いかなる霊感持ちも全身は呪いまみれになり「それどころじゃねえ」という状態になるだろう。
「呪い」は人を縛り、動けなくするのだが、それは「動かないようにしてくれている」という側面も持っている、まるで船の碇のように/この碇のような固定装置である「呪い」を解除すると、その人は、そのとき自分が「偏っているほう」へスーッと連れていかれてしまう、その人がビシッと「中道」(偏りがない)に至っていればいいのだが、そうでない道に偏っている場合、そうでないところへスーッと連れて行かれてしまう、だから「呪い」は現実的にはとても「必要」なものなのだ。

偏りがゼロで、碇を外せば、その船はどこにもいかない。

あなたの住んでいる部屋は、当たり前だが床が水平なはずだ、それは建築屋さんがそのように建築してくれているからだが、もし部屋の床が水平でないなら、すべてのものは次第に傾いたほうへ引っ張られていってしまう、そうなると部屋がめちゃくちゃになるので、椅子やテーブルを「固定」しておかねばならなくなる、その「固定」に使うのが「呪い」だ、むしろその「固定」がされているからこそ、部屋としての体を保っているということになる。
呪いを解除するということは、「偏りがない」ということの実現と共に為されねばならない、そうでないと、人は「偏り」があるとき、必ず<<何かをしてしまう>>のだ、その<<何かをしてしまう>>ぐらいなら、呪いがあったほうがマシだったということがほとんどだ/呪いを解除して「言葉」に至るということは、大前提として、自分の内部がいかに偏っているかを直視する作業と並行になる。

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