☆いい女☆で行こう!

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新ルール発足

ルール発足。
という、タイトルをつけたのだが、これはウソだ。
新ルール発足などしないが、おそらく、このタイトルに、無条件で「食いつく」という反応があるはず。
フィクションのわからない人は、「世界」がわからず、その代わりに「ルール」を欲している。
その反応が、実際あるということを検出するために、偽りのタイトルをつけてみた。

スコッチを飲むとき、グラスの中でスコッチをくるくる回転させながら、香りを立てて飲むことが多いが、あれは原則、左回転はさせてはならない、だからグラスはああいう持ち方になるのだ。
という、ルールはまったく存在せず、これは完全にウソのデタラメなのだが、それでも「そういうルールがある」と言い出せば、人は食いつく性質がある/そして、そのルールを知って、それを履行することが、何か自分の「成長」「上昇」だと感じているところがある(むろん錯覚だ)。
もし僕が、その架空の「ルール」を聞いたら、「なんだそりゃ」といって、一切無視するだろうな、僕は世界を構築する言葉にしか興味がない/けれどもおそらく、そのルールを「一切無視する」ということは、呪の人にはできないのだ。
「新ルール発足」として、たとえば「朝起きたら、東西南北に一礼すること」とすれば、明日からでもそのようにやりはじめることに決めて、そのルールに自分が縛られることに違和感がない/そして東西南北に一礼しているとき、自分が「成長」「上昇」していると錯覚するのだろう? これは「呪い」の原理とピタッと合致している、「呪い」は「思い込みの術」だが、この思い込みは「ルール」という次元に重なっている。

節分に豆をまくのは、世界であってルールではない。

クリスマスも正月も、お誕生日もハロウィンも、世界であってルールではないんだよ、だが年中行事となると一気に確信づいて能動的になる人が少なからずいる、あれは、年中行事を「ルール」だと思っているからなんだな、年中行事は母親がくれた「ルール」だと思っているのだ。
女性が男性にチョコレートをあげるというのが、バレンタインデーの「世界」ではなく「ルール」になって、するとルールとしては不当なものだから、ルールの改変が起こり「友チョコ」というような意味不明の発想が生じる/現在のデタラメ化した年中行事のやり方は、何らルール違反ではない、みんなルールにのっとってやっているのでルール的には問題ない、だが「世界」はもうムチャクチャになった、特にこの十年間で<<ルール・マンが「世界」をメチャクチャにしていった>>と言えるだろう、今日もあちこちで「新ルール発足」が行われようとしている、世界のないヒマ人がそれをする。

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