☆いい女☆で行こう!

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魂魄分離論

ういえば、ワークショップのときに訊かれたので、そのとき答えたことを、そのまんま書き記しておく。
「胴体に流れている『気』で、人とつながる。この『気』は『気魄』でもあるが、なんつーか、物理的なモンだ、いわゆる健康増進とか、気功のたぐいはこちらに当たる。多分ね。詳しくないからよく知らんけど、こちらは健康的で物理的なモンだ」
「で、この気なり気魄なりでつながって、そのまま動くと『遊ぶ』ことになるのだけれど、それだけでは『言葉』は使えないので、気魄はつながったまま、肉の身はスポッと抜けて動くというか、切れて動く。気魄はノンフィクションでつながっていて、肉の身はフィクションの側へパッと切れて動いてしまうということだな」
「それで、あまりこちらのことを、ヨソのワークショップでやることはないだろうと思って、わざわざおれがやっているんだけどね。肉の身がノンフィクションから切れて、フィクション側へスポッと動くじゃない? このとき実は、肉の身は、フィクション側、まあ魂の側ということになるが、このとき魂の側は、この『世界』の、森羅万象の『言葉』とつながるんだ」
「なんつーか、この世界というか、空間には、森羅万象の言葉が満ちているというか、ガンガン届いているんだよ、それが肉の身に届いておれは動いている、それは無数の言葉でありながら一つの言葉でもある、聖音っちゃあ聖音なのかもしれないし、ただそれをカタカナでオームというと、たぶん当たっていないな、AUM、とアルファベットで書けばまだ近い気がする、でもそれもそんなオカルトなもんじゃない」

「魂というのが、なんというか、実際の『身』というか、実体のある側だというのが、意外ですね」と誰かが言った。
「そうね……まあ、なんのこっちゃおれもわからんのだが、おれの場合、『動く根拠はヨソにある』『動く根拠はおれの中にない』という感じなんだ、だからけっきょく、おれは『何もしていない』んだな、おれはこの世界の森羅万象の『言葉』を入力されて、それを出力しているだけの、まあいわば、ひとつのインターフェイスでしかない」
「おれは日本人だし、日本語という言語を持っているから、『言葉』が入力されると、日本語が出力されるということだな、そしておれはこの身体だから、やはり『言葉』が入力されると、この身体で何かヘンな動きをするだけだ、どう動くかという根拠はやはりおれの中にはない」
「『言葉』というのが、一般的な意味での『言葉』ではないんですね」と誰かがいった、そのとおり、僕はずっと前から、何か「言葉の素(もと)」みたいなものが肉の身に届いているような気がしていて、それを自分が言語にして出力しているように感じている、ホントかどうかはまったく知らんがね。

魂魄といって、魂と魄を切るのだ/すると魂はこの世界の「言葉」とつながり、魄は人とつながる。

魂魄のうち、魂はフィクションで、魄はノンフィクションだ、だから相手に手首を掴ませるとき、魂と魄をずらして動かしてやると、相手はノンフィクションである魄の位置を掴もうとし、そこに肉の身(魂)はすでにないので、空中でスカッと空振りする/そしてそのとき、相手は「空振りした」ではなく、「掴んだはず」と感じるのだ、だってノンフィクション的には確かに「掴んだ」のだから、だからとんでもないバランスの崩し方をし、同時に「掴んだ」という感触だけがあるのでゲラゲラ笑う(逃げられたりよけられたりするとゲラゲラ笑ったりはしない)。
音楽にはテンポやリズムやビートがあって、このビートやリズムが何を意味しているかというと、切り離された魂と魄が、その一定のテンポごとにつながるということなのだ/仮に右手を魂とし、左手を魄とすれば、手拍子をした一瞬だけ、「魂魄」はつながることになる、このときフィクションとノンフィクションが同時に現成するということなのだ(イメージ)、このことは「魂魄分離論」と呼んで差し支えなく、今僕が目下のところ取り組んでいる(僕の)学門の最先端だ。

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