☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
<< 魂魄分離論 | TOP | やりたいことができている人 >>
本当のことなんかできるわけがない

近は呪いの話ばかりしている、申し訳ない。
呪いは、「血と僻み」の中で言語を刷りこむことで、それを言葉とせず「呪」にするという方法だが、これによって呪いは人を呪縛する……と同時に、その場所にピン留めしておく、という役目も果たしている。
呪いにピン留めされていると、呪縛状態なので、本当のことなどできないのだが、かといってそのピン留めを取り外すとどうなる? ここまでごまかしてきた血と僻みが一気に襲いかかってくることになる。
ふつうそのことに、人は耐えられないから、血と僻みに殺されてしまう前に、言語を「呪」として、その場所に留まらせておくのだ、だからこの呪いはセーフティロックなのでもある/安全ピンの効いたジェットコースターに、真のスリルはないかもしれないが、本当の飛翔を得たいからといって、安全ピンの効いていないジェットコースターに乗ったらアホだ、じゃあどうすればいいかといって、そんな高度な知恵なんか手に入らない、だから本当のことなんか「できるわけがない」と見立てておくのが一般的には健全なことだ。

確かに「血と僻み」を突破した向こう側に、「世界」があるのだということは、僕の知るかぎり保証できる、そしてその「世界」は唯一無二にうつくしいものだ。
とはいえ、現実的に考えると、まず「血と僻み」の力に抗することがむつかしい上に、本当にその先の「世界」を見たら、そのうつくしさにもまた、心臓がつぶれてしまうだろう、だから「本当のことなんかできるわけがない」のだ。
セーフティロックである、「ピン留め」を外すとどうなる? それはもちろん、血と僻みが出てくる/血……たとえば、人間はあっという間に老いて死ぬものだとか、「母と子のきずな」なんて本当は無いとか、僻みといえば、自分には青春がなかったことや、もう若くないこと、自分は中級以下の外見しか持っていないこと、誰にも愛されずに生きてきて、これからも愛されずに生きていく見込みだということ、こころのつながりがどこにもないこと、何かに本当に感動したことが一度もない、などなど、「本当のこと」のすべてがいきなり国境を突破して総力戦を仕掛けてくる。
もちろん、それらのすべては「思い込み」なのだ、あっという間に「老いて死ぬ」というのは、生命であって「わたし」ではないし、母と子のきずなといっても記憶喪失になったら消えるし、DNA鑑定なしには血のつながりは確かめられないし、また他人がうつくしく愛されていて自分は醜く愛されていないというのは、ただの比較であって、比較しなければ僻みはないし、そもそも「比較」というのが正当ではない、だからそれらのすべては「思い込み」でしかない/だがそれが「思い込みだ」という、叡智に到達する前に、人は心臓の負担に堪えかねて死んでしまうだろう、とりあえずまともにメシを食いながらやっていける範囲に留めるしかない。

浮き輪でプカプカ浮いているところ、浮き輪を取り去ってやるのが解呪だ。

そりゃ、浮き輪を抱えていたら自由には動けないし、浮き輪に拘束されているのは「呪縛」かもしれない、だからといって、これまで浮き輪で浮いていた奴からいきなり浮き輪を取り去ったら、そのまま「解放」になるかというと、そんなことはない、そのまま逆に血と僻みの海に吸い込まれていってしまうのが関の山だ/だからふつうは言語(呪)でピン留めしておく。
僕はもうジジイだし、イケメンではないし、腹も出ているし、社会的には何の格もないわけだが、僕はそれで何を言われても平気だし、「それが本当のことですやん」としか思わないのだが、ふつう女性に「年増のおばさん、しかも別に美人でもないな、体型がダサイし、社会的には何の値打ちもない存在だよね」なんて言いつければ、そのとたん沸騰したヤカンをフルスインクで投げつけられるのがオチだ、われわれはそういう身も蓋もない「本当のこと」に向き合わないよう自分を呪でピン留めしてある、だから「本当のことなんかできるわけがない」と、笑い飛ばして生きるのがおおむね健全ということなのだ。

恋女のマインドね | comments(0) |
コメント
コメントする










| /PAGES |