☆いい女☆で行こう!

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追放されると「ルール組」になる

口意で「ハズレ」「やらかし」をすると、<<世界から切り離される>>ということが起こる/これは「追放」と呼んで差し支えない。
身口意で「やらかし」をすると、それが業(カルマ)となって溜まるのだが、そのとき「カルマが溜まった」という直接の感触はイマイチなくて、その瞬間「世界から切り離された」「ドロップアウトした」「追放された」という感覚が生じるのだ、これは傍目に見ていてもわかるぐらい、「あっ、今、『世界』から放り出された」という現象がある。
「世界」から切り離された人は、その後どうしたらいいのだろう、社会生活上で置いてけぼりを食らうわけにはいかないので、なんとか切り離されたままでも他の人についていこうとする、そこで、「世界」はもう見えないので、「ルール」の把握でなんとか人についていこうとする/こうして人は、「やらかし」→「追放」→「ruled」のパターンに嵌まる。
「世界」から追放され、「ruled」になった人は、表面上はみんなと同じ場所にいるのだが、内実は「ルールにしがみついているだけ」だ、その差は典型的に「言葉」に現れてくる/「世界」の人は言語が「言葉」になるが、「ruled」の人は言語が「呪」になるのだ、そしてさらなる問題は、この「ruled」の人のほうが「格上」になってしまうということなのだが、そのことはまた別の機会に述べよう。

カンタンに言うと、たとえば受験勉強のとき、y=ax^2+bx+c という数式が、「何を言っているのかわからない」という人がいる、実はこの人は頭が悪いのではなく、何かを「やらかして」きた組なのだ、この場合の「やらかし」(カルマ)は、血縁から継承しているという場合も少なからずある/頭が悪いのではなく、xy平面という数学の「世界」から切り離されているのだ、だからxy平面の数学世界で用いられる「言葉」である y=ax^2+bx+c という数式が「何を言っているのかわからない」と感じられる。
数式なんて、勉強していなければ「知らん」のは誰だって当たり前なのだが、カルマ組・やらかし組は、そうではないのだ、やらかし組は、勉強したって「何を言っているのかわからない」のだ、それは不勉強なのではなく、「世界から追放されているから、言葉がわからない」のだと、正確に知っておくのがいい、もちろんやらかし組は、今ここに書き話していることだって、言葉としてわからないのだからどうしようもないのだけれども。
y=ax^2+bx+c という数式が、「何を言っているのかわからない」のならば、その人はどうするかというと、テストで合格点を獲れるように、どう解答すれば点数がもらえるかという「ルール」を把握することになる/数式が何を言っているのかはさっぱりわからないが、「この穴埋めはこう埋めていけばマルになって点数がもらえる」という、ルールをガチガチに暗記していくのだ、だからこの人は数学の世界を知り深めているのではまったくなく、「受験とその結果」というルール競争における「格付け競争」を覇していくことになる、だからこの人は、あらゆる世界から切り離されたまま、自分の「格」だけどんどん上昇させていくことになる。
たとえば x+y=0 という数式があった場合、「移項」すれば x=-y となり、移項されたものはマイナスになるのだが、ruledの人は、これが数式の「性質」ではなく、「ルール」なのだと思っている、ruledの人はそもそも「イコール」という記号が「言葉」として見えていないのだから、「何か知らないが、移項したらマイナスになるんだよ」とガチガチのルールにして記憶するしかないのだ/本当は、「イコール」の記号でつながる「等式」なのだから、x+y-y = 0-y という算術の結果、x=-y となるということなのだが、この時点で「やらかし組」は、ほとんど生理的なアレルギー反応が起こって、「何を言っているのかわからない」と感じる、だから頭が悪いのではなくて、「やらかし」で形成されてきた「体質」が、数式という「言葉」を"許さない"のだ。

目の前でリンゴを落として、「このように重力がある」と話すと/世界にある人は「ほんまですね」と応えるが、追放された人はわけもわからず「はい!」と応える。

「ドミソ」と「ミソシ」を同時に鳴らして、「ほら、メジャーコードとマイナーコードが同時に鳴るだろ、これがセブンスだ」というと、「世界」にある人は「なるほど、ほんまですね」となるのに対し、追放組は、「はい!」となるか、「……?」となる、そして特徴的に、無意味にニコニコしていたり、無意味に興奮していたりする/目の前に同じ事象と言語を与えても、一方は「世界と言葉」を確かめるのに対し、一方は「ルールと呪」を探しているのだ、「やらかし」によって「世界から切り離される」というのはそういうことだ。
たとえば「民主制」は、為政者を国民投票で決めるシステムのことだが、追放組は民主制をそういう「ルール」なのだと捉えている、だからルールに則って投票すると、民主制が「わかった」「できた」と感じる/民主制の「世界」や帝制の「世界」があるとはわかっておらず、「? 民主制でも帝制でも、『世界』は同じじゃないですか?」と思っている、だから誤った形で「世界はひとつなのよ」と妄想している。

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