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格上は格下から学べない

「格」とは何かを、辞書で調べると、格とは「(おきて)」だという、規格・失格・資格あたりに、その「格」の性質が表れている。
格とは「掟」、つまり「ルール」のことだ、人は上位のルールに「合格」することで、その格を上昇させていく。
「ルール」は「世界」の対極なので、つまり「世界」から追放された人ほど、「格」を上昇させていく傾向が高くなる、ということになる。
そして、「格」の性質として、「格上は格下から学べない」という性質があるのだ、そりゃ一軍の選手は二軍の選手から学ばないだろう/よって「ルールの人」は「世界の人」から、そもそも「学べない」という一般則が成り立つ。

僕の書き話すことが、ほとんど無意味で、僕が誰かに何かを教えたとしても、おおよそ何も学ばれないのは、それが原因だ、僕より格下の人なんてほぼ存在しないので、僕が何かを教えてそれを学べる人なんてほぼ存在しない。
逆に、僕がなんでもかんでも、習わないまま学んだり、身につけたりすることが多いのは、僕が徹底して格下の存在だからだ、僕は何もかもに失格して生きてきたので、すべての人は僕より格上だ、だからわざわざ誰かを「先生」「師匠」という立場に奉らなくても、自動的に「学ぶ」ということが起こってくれる(まったく努力はしていないのだ)。
かつて、弟子入りや丁稚奉公というシステムがあって、そうして下働きに入ると、まるで人権のないもののように扱われたが、それはそうして「格下」を徹底しないかぎり、「学ぶ」ということは不可能だからだ、「格下」にならなくても「暗記」はできるが、本質的に「学ぶ」ということは不可能になる/「学ぶ」ということは、どうしても「格下が格上に学ぶ」ということしか成り立たない。
たとえばハナコちゃんに僕があれこれ話したとしても、ハナコちゃんは、僕のやることを見てはいないし、僕の話すことを聴いてもいない、なぜかというと、ハナコちゃんのほうが「格上」だからだ/僕が何をどう話し、どうアドバイスしたとしても、ハナコちゃんは格上の者として、必ず上位に「格付け」された自分の動きと発想と言語を用いる、「格付け」および「格上」というのはそういうシステムなのだ、実力どうこうと「格」の性質はまったく関係が無い。

僕があなたに「教える」と、あなたは水面下で無性に腹が立つが、あなたが僕に「教えて」も、僕はまったく腹が立たない。

それは、「教える」と「学ぶ」という営為が、背後にある「格付け」に支配されているからだ、実力とは無関係に、僕が格上のハナコちゃんに「教える」ということは根本的に許されていない/今ちょうど、日本のサッカーワールドカップが敗退して、多くの人が日本代表勢に「学ぶ」のではなく「教える」側に立ってコメントするのは、代表選手より己のほうが「格上」だからだ、「格」というのはそういうものであって、格上が格下の話に「耳を傾ける」ということは基本的に発生しない。
いつからか、お笑いや漫才というと、審査員と視聴者が、それを「審査する」という形式が基本になったが、それは視聴者が「格上」になってしまったため、視聴者は漫才師の笑い話に「耳を傾ける」ということが不能になったからだ/現在は映画や小節やドラマ、あるいはマンガやアニメ等も、消費者が「格上」になって、審査し「教える」というシステムになった、全消費者が「先生」の格に上昇したというのが現在のわれわれが生きている空間だと捉えていい。

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