☆いい女☆で行こう!

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WS報告003(2)

、ワザ的なものに興味はないのだ、ワザ的に捉えると、「出来ているか・出来ていないか」の判別がしやすく、またその修練で己の身が「練られる」のでグッドというだけで、ワザそのものに重きはない、ワザは単なる方便だ(競技者や職業人は除く)。
で、何から話したらいいものやら、けっきょく「言葉」というのは人に向けてよいものではないのだ、言葉は「世界」に向けるものだ、僕がこうして人に届けているのも、実体は言葉でなく世界だということになる。
まあもともと「言葉」イコール「世界」だと唱えているのだから、今さら同意義の循環ではあるが、今回はいよいよそのことが明確に発見されて、こうして書き話すことと、音声で話すことの、統合が得られるということが起こった、僕は「世界」を提供しているということなのだ/実際、僕がえんえん何かを話しているのだが、僕に何かを「言われた」という人はほとんどないはずだ、僕はずーっと「話している」のに、「人には何も言っていない」となる、それはひたすら「世界」を届けているからであって、言語の使い道がまったく違うということになる。
今、多くの人が、なぜか僕に向けて「食事代ぐらい出させてください!!」となっているのだが、これは何が起こっているのかというと、別に僕がエライわけではなく、これは「祝祭」の手続きなのだ、「呪い」の反対に「祝祭」があって、何か直観的にその祝祭の方向へ「参加させてくれ!!」ということが起こっているということ、ただそれだけにすぎない。

今回起こったのは、「呪い」の手続きを見ることで、逆に「祝祭」の手続きが見えてきたということだ、といってもそんなワークをしているわけではない、ワークをしているうちに背後の原理が見えてきたということ(ワークそのものは泣きたいぐらい具体的です)。
人のタマシイには魂魄(こんぱく)という二種類があり、魂はフィクション担当で魄はノンフィクション担当なのだが、この魂魄に関わる営為を「合っている」方向でやるとそれは祝祭になり、「反対でっせ」の方向でやるとそれは呪いになる。
簡単に言うと、「血」を神殿に捧げ、「詞」を人に向けると、それは呪いになるのだ、そりゃそんなことしたら呪いになるだろうよ/本来の正方向は、「神殿に祝詞が捧げられ、人に御神酒が下される」のだが、その逆方向が呪いになる、だから「血筋をあがめて人に詞をぶつけまくる」とかをやれば、呪いはガンガン掛かることになる、そして呪いはその性質上、祝祭と同じだけの力を持っている、祝祭の解放力と呪いの呪縛力は強度において同等だ。
「言葉」をどうすればよいか? たとえばオゾン(O3)は、天空で層をなすことで、われわれを守ってくれているのだが、このオゾンが直接体内に入ると、オゾンは人体にとっては猛毒なのだ、それと同じで、言葉は天に向けられるとき正方向で祝祭となるが、言葉は体内に入り込むと猛毒になる、そのことをわれわれは「呪い」と呼んでいる/一方、血は体内にあると生命だが、血を「世界」に流出させると、やはり「呪い」になる、正しい方向は逆だ、「血肉を為す気魄を人に向け」「言葉を世界に捧げる」が正方向だ、これを逆転して「詞を人に向け」「血肉を世界に捧げる」とするとゴリゴリに呪い方向へ進んでいってしまう。

[祝祭:世界に言葉が流れており、人々が血肉を為し合う]/[呪い:世界に血が流れており、人々が詞を為し合う]

これが祝祭と呪いのメカニズムだ、だから、人々が血肉を為し合えば、世界に言葉が流れ始めるし、人々が詞を為し合えば、世界に血が流れ始める/「食事代ぐらい出させてください!!」ということが起こっているのは、そうして「血肉を為し合う」ことに参加することで、祝祭に参加することになり、言葉が流れ始めた世界に参加できるからだ、その逆方向は、やれ陽キャだのセクハラだの「詞を為し合う」ことに、「おれにも言わせろ」と参加すると、呪いに参加することになり、血が流れ始めた世界に参加することになる。
魂魄を入れ違えに営為させると呪いになり、正方向(というか順方向)に営為させると祝祭になるわけだ/「飲めや歌え」という言い方があるが、これは「気魄が酒を飲み、霊魂が歌い出す」のが祝祭だということであって、逆方向に、「気魄が演説しだし、霊魂が酒を飲み始める」と、これは呪いの宴になってしまう(うーんこれってワークショップの報告になってねえな)。

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