☆いい女☆で行こう!

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手を使うこと、「その手があったか」

そらく、どんなジャンルでもいいから、まっとうなことに、「複雑に手を使う」という作業が、暮らしの中であったほうがいい。
ピアノを弾くことや、タイピングすることでもいい、あるいは編み物であったり、料理や洗い物でもいいかもしれない、「力を使うのではなく、手の複雑な形を使うこと」だ。
どうも、僕の経験上、たとえばバットを振り回したりダンベルを持ち上げたり、腕立て伏せをしたり、重量物を運んだりするだけで、手の複雑作業というと「うーん、スマホのフリック入力ぐらいかなあ」という人は、何かの「相」が悪い気がする、根拠はないので、ただの与太話だが。
僕の経験上、ルール脳の人、あるいは、何かに「触れる」という能力がバカになっている人は、長い間、「手」の複雑な形を使っていない、という印象があるのだ/手先が器用かどうかの問題ではなく、手の「形」が限定されていることに、何か悪い相を感じてならない。

仏像を見ると、その手は投げ出されてはおらず、たいてい何かしらの「印」を結んでいる、その印が何を意味するのかはまったくわからないけれども、とにかく仏像の「手の形」はかなり幽玄に複雑な形をとっているのがわかる。
あくまで仮説というか、与太話だが、どうも僕の直観上、われわれはなるべく単純作業でない複雑な「手作業」「手でものに触れること」で、知らぬまに手がいくつもの「印」を結んでおり、その中で啓かれていく何かがあるんじゃないのかという気がする、もちろんひとつひとつの印なんてわれわれにはわかりっこないので、「たくさん複雑に動かしている奴のほうが格段に有利」というだけでしかないけれども。
僕はいつも、古くから使われている言葉、漢字、熟語などを学門の手かがりとして重要視するが、それこそ「手がかり」というのも手という字を使うし、「手段」「一手」「手ほどき」「手抜き」「手こずる」「打つ手がない」「その手があったか」等、「手」に関わる熟語や慣用句は極端に多いのだ、どうもこのあたり、以前から、「何か、『手』というのは、思っているよりもヤバい器官なのか?」という気がしてならない。
僕には、人の手相を見るというような趣味はないが、手のひらのシワがどうこうというより、「手」そのものの印象として、手が「見えない」とか「くぐもっている」とか「固まっている」「こわばっている」「手そのものがない」とかの印象を受けることはよくある、そして「手」がトラブって見える人はたいてい、ロクな状態にないものだ、たぶん暮らしの中で、フリック入力しか手作業はしませんというのは見えざるレベルで「ヤバい」のだと思う。

あなたの「手」がこれまでに付き合ってきたものを思い出してみよう。

誰だって生活上、小銭に触れながら生きているはずだが、それは手品師がコインに「触れてきた」ということとは、内実が違うだろう、その意味ではあなたの手は何に触れてきたか/逆に考えれば、あなたの手垢が最もついているものは何だ。
僕はこれまでに、千匹以上の犬に触れてきただろうし、トカゲやらカエルやら、もちろん女性にも、そして十代のころは手品師だったし、ずっとゲームコントローラーを握っていたし、指揮棒に触れていた時期もあったし、手巻きタバコを15秒で巻くし、今も僕のデスクのシートは手を乗せる部分で剥げ、チェアの肘当ては両側とも穴が空き、キーボードの刻印は指で擦られて消えかかっているのだが、もし「手」そのものに学習と「印」を結ぶ能力があるのだとしたら、これまで「手」が触れてきた対象と経験の量は膨大な差を生み出すはずだ/ひょっとすると単純に、「手を使い込んできた奴には勝てっこない」という現象があるのかもしれない、だとしたら暮らしの中に手の作業がないのは損だ。

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