☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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80000 vs 0

日、「余談」と題して、珍しくニュースネタを元に、かつての震災ボランティア体験について書いたのだけれども……
ニュースの元になったのは、東日本大震災を体験された方のツイートらしく、つまり「千羽鶴を折って寄こされても邪魔で困るから、そのぶんのお金を送ってほしい、千羽鶴は作る側の自己満足でしかありません」という発言がバズったのだ、もちろん賛否両論あったらしい。
ここで、今さら言うまでもないかもしれないけれども、僕としての焦点は、千羽鶴がどうこうではなく、当該のツイートか八万以上もリツイートされているのに、僕の実体験の「余談」はゼロ・リツイートだということだ、おかしいじゃないか、避難所に千羽鶴を届けるという現場にいた当事者の実体験だぞ☆?
久しぶりに、mixiにもニュースに関連して当該の日記を書いたのに、まったく拡散されないのだ、なんだこれは、まるでおれの文章が無意味でヘタクソみたいな扱いじゃないか、もう一度言うがリツイート・ゼロだぜ? おれが震災の現場で体験した生々しい愛と感動のドラマツルギーがなぜリツイート・ゼロなんだ〜。

で、今さらもう婉曲にもしないが、千羽鶴がどうこうというのは、送る側もどうかしているし、それを「自己満足で迷惑」と着火する側もどうかしている、それに便乗して議論する奴もどうかしている、と僕は思っている、彼らは呪われているのだ、呪われているから「言葉と世界」でなく「燃えさかる業火」のほうに身を投げ込んでいる。
いいか、もう一度、冷静によーーーく考えろよ、僕が書き話した「余談」の一幕と、「千羽鶴は自己満迷惑だからカネで証せ」の議論と、あなたが仮に飛び込むとしたら、どちらの世界に飛び込みたいよ、僕にとって一ヶ月超の震災神戸のボランティアは思い出だが、千羽鶴議論は何の思い出にもならんじゃないか。
このことについて僕が誰かにブーブー言うと、<<必ず>>、ひとつの誠実な返答が返ってくる、それは、<<堪(た)えられないんですよ>>ということだ、まあ歯に衣着せず言うと、呪われてしまった人にとっては、<<「言葉」と「世界」があることのほうが堪えられない>>そうだ、これはもうバッッッチリ呪いがキマっているということの証左だ。
災害が起こったら、ソッコーで千羽鶴を作って送るという人に対しては、やはりその独りよがりに対して、「それで、てめー満足かい?」という問いかけが発生するが、それとまったく同質に、「千羽鶴なんて自己満足で迷惑です!」と火をつける人に対しても、「それで、てめー満足かい?」という問いかけが発生する、もっとラブと思い出の世界に直接生きるほうがいいんじゃねーのか/僕は堂々と答えるが、十八歳のときに震災の神戸でいろいろあったよ、きっとあのときの世界を永遠に思い出せるだろう、そのことについてはおれは満足だよ。

千羽鶴をぶちかますのが自己満といえば、千言万語のツイート議論をぶちかますのも自己満じゃないか。

こんなミエミエのことに、なぜ容易に引っかかれるのだ……ほれラブレターを贈るとか、手編みのウンタラとか、手作りのウンタラを贈るというのはどうする、ぜんぶ千羽鶴と同じじゃねーか、先方は「邪魔だな」「自己満だな」と思うかもしれない、そりゃ年賀状だってクリスマスカードだって贈る側の自己満で邪魔かもしれないじゃないか、そんな自己満を贈るより商品券を贈ったほうがいいのか〜さあどうする〜。
こんなもん、千羽鶴を肯定しても死亡確定だし、千羽鶴を否定しても死亡確定なのだ、だってそこに何の「世界」もないのだもの/タイムマシンに乗って、1995年の神戸に来るかい? 千羽鶴を大量に受け取って、「これはこれで困るわなぁ」という人もあったよ、でもあたたかく笑っていらっしゃったよ、もうこれ以上の不毛な呪詛ごっこはやめにしないか、けっこうな数の人が物事のシャレをわからなくなっている様子がある。

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