☆いい女☆で行こう!

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他人のことに口出ししない理由

は目の前で女が発狂していても、口出しはしないし、男がオラついていたりキャラっていたりしても、口出しはしない。
なぜ口出しをしないかというと、「判断が違う」からだ、発狂している女や、オラついている男は、それを「かっこいい」と判断しているのでそうしているのであり、かつその判断は正しいかもしれず、間違っているかもしれない、その正誤の審判は誰にもできない(少なくとも僕にはできない)。
たとえば、震災千羽鶴を全力で否定する人は、それが「かっこいい」と判断しているから全力否定しているのであり、あるいは男性の内なる心を猛烈に穿って糾弾する女は、それを「かっこいい」と判断しているから猛烈糾弾しているのだろう、それが「かっこいい」のかどうか/それはけっきょく、僕には審判できないので、僕には口出しをする権利がない、口出しする気がないのではなく権利がない。
ヒステリー女と、メランコリー男がいたとして、そこにサバサバ女と、意識高い系男が加わったとき、それぞれがそれを「かっこいい」と判断しているのだから、僕には口出しできない、僕の側は口出しされることがあるが、それは口出しすることが「かっこいい」という向こうの判断なので、僕の側からは申し上げるべきコメントはない。

僕にとって「かっこいい奴」というのは、「何にも頼っていないのに、結果的に、何かに導かれているような奴」だ。
僕にとっては、その逆、「何もかもに頼ろうとしているのに、けっきょく、まったく導かれていない奴」が、かっこわるい奴ということになる/あくまで僕自身の限りにおいて。
人は誰しも、土壇場で、必ず「かっこいい」と判断するほうを選んでいる/たとえばヒステリー女は、「そうだ、ここでヒステリーを起こすのがカッコイイ!」と、その瞬間に信じるから、ヒステリーを起こすのだ、人は誰しもそうした「正当性」の実感の中で生きている。
何がかっこよくて、何がかっこ悪いのか、それを審判する権限はけっきょく僕にはないので、僕は他人のことに口出ししない、口出ししないことが構造上決定しているので、実はそもそも他人のことなんか見ていないのだった、僕の目に映るのはかっこいいものだけだ、そしてかっこいいものは僕にとって他人ではない。

TSUTAYAに行ったとき、かっこ悪いディスクが置いてあったとしたら、それについてどう思うということはなく、ただ借りないだけだ。

生活上、何をしているかというと、かっこいいと思えないものはそもそも目に映ってもいないのだが、あくまで一人の生活者および年長者として振る舞うとき、「トラブル」になりそうなことについては、前もって沈静することに、最低限の協力をするというだけだ、だから仮に世情に「かっこ悪いもの」があふれかえったとしても、それは僕の視界には入ってこないので、それらの一切についてはノーコメントになる/どんなディスクもTSUTAYAにそっと置かれていればいい、誰が借りていくのかは知らない。
他人のことに口出しはしないし、かっこいい奴は僕にとって他人ではない/たまに、「未だに幸福になれる可能性が残されていると思っているのか……」と、内心で愕然として思うことはあるが、言わない、それは向こうからこちらを見たとしても同じことを思っているに違いないからだ。

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