☆いい女☆で行こう!

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ドアホにならないために(真面目な話)

「ドアホ」を定義しておこう。
「ドアホ」というのは、「そのとき思ったこと」をし、そのとき思ったことを「意見」として言う者だ。
これは、どれだけ上品ふうにしても、定義上「ドアホ」なのだ、注意されたし。
「ドアホ」というのは、自分の意見や思ったこと、あるいは行動の背後に、「説」がないのだ、だから時代の気分だけでいくらでもズルズル行方不明になる、これは性格の問題ではなく残念ながら知性の問題だ。

そのときだけフォォォと、「やる気」になってもダメなのだ、またアンニュイになってもダメだし、エロティックになってもダメなのだ、残念ながらそれは感性でも何でもなく、ただの気分屋、もしくはそれより下位の、体内物質に支配されるだけの物体人間でしかない。
誰だって、「今何をすべきか」という問いかけ、あるいは分岐路の前に立たされているものだが、この問いかけと分岐路に対して、「説」で行動を決定する者と、「そのとき思ったこと」で行動を決定する者があるのだ、後者は定義上「ドアホ」であって、これは後々本当にヒサンなことになるから、なんとかこのドアホ路線は避けられたらいい。
つまり一方には、「わたし厳しいことに挑戦します!」と、そのときの気分で「思ったこと」を選ぶだけの人があり、もう一方には、「人はけっきょく、自らに課した厳しさの総量によってのみ、その行き先のグレードが決定するのでは?」というから、「厳しいほうを選びます」という選択をする人があるのだ、この両者は実は互いにまったく話が噛み合っていない。
まともな人は、行動のすべてが何かしらの「説」に立脚しているのに対し、「ドアホ」というのは、そのときの気分を探して「思うこと」に支配されているだけなのだ、この「ドアホ」のリスクは十分に鑑みられるべきで、誰だって自分にその点検を課すほうがいい。

あなたはどういう「説」で生きていますか。

たとえばあなたが女性だったとしたら、「女はどう生きるべき」だろうか? その問いかけを前にしたとき、これまで構築してきた「説」をレポートする人もあれば、一方で、そのとき「思うこと」「気分」だけで慌てて「意見」する人もある、この後者は本当にタチが悪い(仮説を検討し合っているところに「思うこと」をブッ込んでくるのでタチが悪い)。
男でも女でも、たとえば「うつくしく生きよう」とするとき、まず「どう生きればうつくしくなりうるか?」ということについて、一定の「説」が見つかる必要がある、そして人が生きるというのは、その「説」を半ば自らの身で実証してみせようという試みでもあるのだ/定義上「ドアホ」は、この「説」の試みから完全な門外漢になっている。

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